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大極殿【だいごくでん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

大極殿
だいごくでん
「だいぎょくでん」とも読む。大内裏朝堂院の正殿天皇政務をとり,賀正即位など国家の大礼を行なったところ。中国では易に「太極」の語があり,青竜3 (235) 年曹明帝の洛陽宮に「太極殿」を建てた記録がある。日本では『日本書紀』の皇極天皇4年のに初見。最古旧跡藤原宮のもので,平城宮には殿址も残り,平安京のものは治承1 (1177) 年焼亡して廃絶した。

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デジタル大辞泉

だいごく‐でん【大極殿】
大内裏朝堂院諸殿舎の北方に建つ正殿。中央に高御座(たかみくら)を設けて天皇の御座とし、即位・大嘗会(だいじょうえ)などの重要な行事が行われた。平安京の建物は東西11間、南北4間で単層四注造。緑の金銅鴟尾(しび)をあげ、前方の東西にそれぞれ青竜・白虎の2楼があった。治承元年(1177)焼失後は再建されなかった。だいぎょくでん。

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だいぎょく‐でん【大極殿】

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デジタル大辞泉プラス

大極殿
京都府京都市、大極殿本舗が製造・販売する銘菓白餡をカステラ風の生地で包み焼いた饅頭

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世界大百科事典 第2版

だいごくでん【大極殿】
古代の宮殿の中心建物。中国では太極殿といい都城内の建物に起源もち,三国時代の魏の明帝青竜3年(235)が初見である。この太極殿は東西両堂をもち,北魏の洛陽城にいたって前殿をもつようになった。しかし後のの長安城の太極殿では,東西両堂および前殿をともなっていない。 日本の古代の都城における大極殿は,中国の太極殿の系譜をひくと考えられ,藤原宮,平城宮,長岡宮,恭仁宮,平安宮,後期難波宮などでがみつかっている。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

だいぎょくでん【大極殿】
だいごくでん大極殿

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だいごくでん【大極殿】
大内裏朝堂院の正殿。本来天皇が政務を執る所であったが、のち賀正・即位などの国家の大礼時に臨御するだけとなった。平安京のものは1177年焼失したまま再興されなかったが、1895年(明治28)平安神宮造営に際し、その様式が取り入れられた。大安殿おおやすみどの。だいぎょくでん。 → 大内裏

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日本大百科全書(ニッポニカ)

大極殿
だいごくでん
「だいぎょくでん」とも読む。大内裏(だいだいり)の正庁である朝堂院(ちょうどういん)の正殿で、その北部中央にあった。即位、大嘗会(だいじょうえ)、朝賀(ちょうが)、視告朔(こくさく)、御斎会(ごさいえ)など、重要な儀式に天皇が出御した。7世紀後半には成立していたとされ、難波(なにわ)宮、藤原宮、平城宮、長岡宮では遺構が発掘されており、いずれも朝堂との間に廊、閤門(こうもん)があって境となっていた。前期難波宮(天武(てんむ)朝以前)では東西七間、南北二間の母屋(もや)の四面に庇(ひさし)があり、北に建てられた内裏と廊で結ばれていた。
 藤原宮では東西九間、南北二間の母屋の四面に庇があったと推定され、大極殿を囲む形の東西北の回廊に殿舎があり、初めて瓦葺礎石造(かわらぶきそせきづくり)となった。平城宮では東西七間、南北二間の母屋の四面に庇があり、北側の回廊に後殿があった。
 長岡宮では平城宮と同じ規模で、北側に小安殿(こあどの)、背後の回廊に門があった。小安殿とは天皇が大極殿に出御する際の休息所で、平城宮までは朝堂院のすぐ北にあった内裏が東方に移されたためにつくられた。
 平安宮の大極殿は、遷都直後の795年(延暦14)完成し、翌年正月には桓武(かんむ)天皇が群臣の朝賀を受けている。朝堂との境の回廊と閤門が竜尾壇(りゅうびだん)(道(どう))という段になり、背後にある小安殿と廊で結ばれていた。殿舎は東西九間、南北二間の母屋の四面に庇があり、緑釉瓦(りょくゆうがわら)、朱塗りの柱の寄棟(よせむね)造で、床には磚(せん)(れんが)を敷き、母屋中央には壇をつくって高御座(たかみくら)を置いた。三度火災にあい、1177年(治承1)焼失したのちは再建されなかった。なお、1895年(明治28)に建立された平安神宮の拝殿は平安後期の大極殿を縮小模造したものである。[吉田早苗]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

だいごく‐でん【大極殿】
〘名〙 (「だいこくでん」とも) 大内裏の中心をなす朝堂院(八省院)の正殿。本来は天皇が政(まつりごと)を親裁する場。のち国儀大礼に際して臨御するだけとなった。平安宮では、朝堂院北部の龍尾壇上に建てられ、九間四面単層、背後に便殿として小安殿(こあどの)が設けられた。安元三年(一一七七)の炎上の後、再興されなかった。京都市左京区の平安神宮の拝殿を大極殿と称し、旧制の約三分の二に造られている。最大殿。大殿(だいでん)。だいぎょくでん。
※続日本紀‐慶雲四年(707)七月壬子「秋七月壬子、天皇即位於大極殿
※栄花(1028‐92頃)玉の村菊「御即位に大ごくでんにみかど出でさせ給へるに」

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だいぎょく‐でん【大極殿】

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旺文社日本史事典 三訂版

大極殿
だいこくでん
大内裏 (だいだいり) にある朝堂院の正殿
「だいぎょくでん」とも読む。殿内中央に高御座 (たかみくら) があり,元来は天皇が国政を行う所。嵯峨天皇のころから,高御座は紫宸殿 (ししんでん) に移り,大極殿では,朝賀告朔 (こくさく) ・即位・大嘗祭などの儀式が行われた。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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