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大槻玄沢【おおつきげんたく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

大槻玄沢
おおつきげんたく
[生]宝暦7(1757).9.28. 陸中中里
[没]文政10(1827).3.30. 江戸
江戸時代後期の蘭方医,蘭学者。江戸蘭学の興隆を導いた功労者の一人。名は茂質,字は子煥,磐水はその号。初め一ノ関藩医建部清庵に学び,清庵と杉田玄白の間に交友関係が生れたことから,安永7 (1778) 年,22歳のとき江戸に出て玄白,前野良沢について蘭学を学び,両師の名前を1字ずつもらって玄沢と通称した。天明4 (84) 年長崎に学び,翌々年江戸に帰り仙台藩医員江戸詰となり,同時に家塾芝蘭堂を開く。文化8 (1810) 年,幕府天文台蕃書和解御用局員となる。著書は数多く三百余巻に達する。『蘭学階梯』『重訂解体新書』『環海異聞』『瘍医新書』『六物新志』など。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

おおつき‐げんたく〔おほつき‐〕【大槻玄沢】
[1757~1827]江戸後期の蘭学者陸奥(むつ)の人。名は茂質(しげかた)、字(あざな)は子煥(しかん)。杉田玄白前野良沢にオランダ医学とオランダ語を学び、長崎に遊学。著「蘭学階梯」「重訂解体新書」など。

出典:小学館
監修:松村明
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

大槻玄沢 おおつき-げんたく
1757-1827 江戸時代中期-後期の医師,蘭学者。
宝暦7年9月28日生まれ。一関藩(岩手県)藩医建部(たてべ)清庵に医学を,江戸で杉田玄白,前野良沢に蘭学をまなぶ。長崎に遊学後,天明6年江戸で仙台藩医となり,京橋に日本最初の蘭学塾芝蘭堂(しらんどう)をひらく。文政10年3月30日死去。71歳。陸奥(むつ)磐井郡(岩手県)出身。名は茂質(しげかた)。字(あざな)は子煥。号は磐水,半酔半醒。著作に「重訂解体新書」「蘭学階梯(かいてい)」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

おおつきげんたく【大槻玄沢】
1757‐1827(宝暦7‐文政10)
江戸後期の蘭学者。陸中西磐井郡中里に医家の長子として生まれ,幼名は陽吉,のち元節,さらに茂質(しげかた)と改名,字は子煥,黒沢の地にちなみ玄沢と通称,磐井川辺の地名にちなんで磐水と号し,堂号を幽蘭堂のち芝蘭堂(しらんどう)といった。父玄梁が仙台藩の支藩一関藩医に出仕後,同藩の同僚建部清庵門に入り,清庵の三男亮策が杉田玄白門に入ったのに刺激されて,請うて玄白に入門,前野良沢についてオランダ語を学び,さらに長崎に遊学して本木良永らに交わって語学力を深めた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

おおつきげんたく【大槻玄沢】
1757~1827 江戸中・後期の蘭医・蘭学者。陸奥一関の人。名は茂質しげかた、号は磐水。江戸に出て杉田玄白・前野良沢に学び長崎にも遊学。仙台藩医となり江戸詰め。芝蘭しらん堂を開き蘭学教育にあたる。主著「蘭学階梯」「重訂解体新書」

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

大槻玄沢
おおつきげんたく
(1757―1827)
江戸後期の蘭方医(らんぽうい)、蘭学者。名は茂質(しげかた)、磐水(ばんすい)と号す。陸奥(むつ)一関(いちのせき)藩医玄梁(げんりょう)の子に生まれ、同藩の医師建部清庵(たけべせいあん)(1712―1782)に医学を学び、1778年(安永7)江戸に出て杉田玄白(げんぱく)、前野良沢(りょうたく)に蘭学を学んだ。1785年(天明5)長崎に至り、オランダ通詞(つうじ)本木良永(よしなが)のもとに寄宿、オランダ語を学んだ。翌1786年江戸に戻り、江戸詰め仙台藩医となり、京橋に学塾「芝蘭堂(しらんどう)」を開いた。1811年(文化8)幕府天文台に出仕、ショメルNol Chomel(1632―1712)の百科事典の翻訳である『厚生新編』訳述事業に参画した。
 1794年(寛政6)オランダ商館長の参府一行を定宿の長崎屋に訪れ、質疑応答を交わし、以後、6か年度にわたって行った対談をまとめて『西賓対晤(せいひんたいご)』を著した。寛政(かんせい)6年閏(うるう)11月11日(太陽暦の1795年1月1日)に、太陽暦の新年を祝して、「阿蘭陀(おらんだ)正月」の会を芝蘭堂で催した。この賀宴には江戸の蘭学者たちが参集して蘭学の発展を祈念した。1781年『蘭学階梯(かいてい)』2巻を起草、1783年に完成、1788年に刊行した。本書は蘭学学習の大要を記したもので、これを読んで蘭学に志した者が少なくなかった。師の杉田玄白から命ぜられた『解体新書』の改訂、ハイステルL. Heister(1683―1758)の外科書の翻訳は、それぞれ『重訂解体新書』13冊(1826)、『瘍医(ようい)新書』4冊(1825)として刊行。文政(ぶんせい)10年3月30日没。墓所は芝高輪(たかなわ)の東禅寺。[片桐一男]
『大槻磐水著、大槻茂雄編『磐水存響』(1912・私家版/複製・1991・思文閣出版) ▽大槻如電著『少年読本第50編 大槻磐水』(1902・博文館)』

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367日誕生日大事典

大槻玄沢 (おおつきげんたく)
生年月日:1757年9月28日
江戸時代後期の陸奥一関藩士;陸奥仙台藩士;蘭学者
1827年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

おおつき‐げんたく【大槻玄沢】
江戸中期の蘭医。陸奥の生まれ。名は茂質(しげたか)。号磐水。杉田玄白、前野良沢について学ぶ。学塾芝蘭堂(しらんどう)を江戸に開き、また、蘭書翻訳に従う。著「蘭学階梯」「重訂解体新書」など。宝暦七~文政一〇年(一七五七‐一八二七

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