●大正政変【タイショウセイヘン】
デジタル大辞泉
たいしょう‐せいへん〔タイシヤウ‐〕【大正政変】
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世界大百科事典 第2版
たいしょうせいへん【大正政変】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
大正政変
たいしょうせいへん
1913年(大正2)2月、第一次憲政擁護運動によって第三次桂(かつら)太郎内閣が倒れた政変。前年12月、2個師団増設要求がいれられず上原勇作(うえはらゆうさく)陸相が辞任、陸軍が後任陸相を出さなかったため、第二次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣は総辞職し、宮中に退いた内大臣桂太郎が組閣した。この事態は陸軍・藩閥の横暴と受け止められ、憲政擁護運動を興起させた。桂首相は従来のような政友会との妥協策をとらず、議会の停会を重ねながら新党(立憲同志会)結成によって事態を打開しようとしたが、民衆運動の激高、政友会の護憲運動への全面的参加のなかで孤立し、2月10日民衆が議会を包囲するなかで総辞職を決めた。民衆の政治的成長が背景にあり、長州閥と政友会の提携である桂園時代を終わらせるとともに、陸軍の独走を抑え、大正デモクラシー状況を大きく切り開く意義をもった。
[阿部恒久]
『山本四郎著『大正政変の基礎的研究』(1970・御茶の水書房)』▽『由井正臣「2個師団増設問題と軍部」(『駒沢史学』第17号所収・1970・駒沢大学史学会)』▽『坂野潤治著『大正政変』(1982・ミネルヴァ書房)』
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精選版 日本国語大辞典
たいしょう‐せいへん タイシャウ‥【大正政変】
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旺文社日本史事典 三訂版
大正政変
たいしょうせいへん
1912(大正元)年12月,第2次西園寺公望 (きんもち) 内閣が陸軍の要求する2個師団増設を拒否したため,上原勇作陸相が単独で辞職,陸軍が後継陸相を出さないため内閣は総辞職した。後継首相に長州閥で陸軍の長老桂太郎が三たび首相となったが,第1次護憲運動によって53日で総辞職した。
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