@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

大輪田泊【おおわだのとまり】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

大輪田泊
おおわだのとまり
神戸古名。奈良時代行基が構築したという五泊の一つ。治承4 (1180) 年平清盛修築は名高い (→経ヶ島 ) 。鎌倉時代以降兵庫と呼ばれるようになった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

おおわだのとまり【大輪田泊】
にあった港。天平年中(729‐749)に行基(ぎようき)が開いたと伝える五泊(ごはく)(河尻大輪田魚住(から),檉生(むろう))の一つ。のちの兵庫津,今の神戸港の前身。785年(延暦4)に淀川神崎川に直結され,神崎川河口の河尻が従来の難波津にかわって繁栄しはじめると,それまでの武庫(むこ)津にかわって河尻から1日航程の大輪田泊が栄えはじめる。西方から突出する和田岬によって南西風と潮流から守られる大輪田は,反面南東風に弱いため防波堤を築いて防ぐ必要があった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

大輪田泊
おおわだのとまり

現在の兵庫県神戸港内にあった古代の港。和田岬の陰で風浪を避けた天然の良港で、河尻(かわじり)、魚住(うおずみ)、韓(から)、室(むろ)とともに「五泊」といわれ、行基(ぎょうき)が築いたと伝える。平安初期に造大輪田船瀬使が置かれ、石椋(いわくら)の築造など修固が加えられた。近辺の福原に別業を営んだ平清盛(きよもり)はここを重視し、経が島を築いて港の建設に努め、宋(そう)船の入港をみるなど、内海屈指の要港に発展した。平氏滅亡後は、東大寺大勧進の重源(ちょうげん)がその事業を引き継いで、修築を行った。鎌倉時代以降ここは兵庫島、兵庫津と称せられる。

[戸田芳実]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

大輪田泊
おおわだのとまり
現在の神戸港の古名
古代から瀬戸内海航路の要地。12世紀,平清盛が日宋貿易の港としてその拡大修築にあたったが,平氏の滅亡により計画は未完成に終わった。中世以降,兵庫と改称された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大輪田泊」の用語解説はコトバンクが提供しています。

大輪田泊の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation