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大部荘【おおべのしょう】

世界大百科事典 第2版

おおべのしょう【大部荘】
播磨国加東郡(現在の兵庫県小野市一帯)にあった東大寺領荘園。1145年(久安1)に立荘され,47年にそれまで東大寺が播磨にもっていた石塩生荘(のち赤穂荘),粟生荘,垂水荘の3荘と交換して東大寺領となる。その後,東大寺は交換した3荘を手放さず,国衙と紛争がおこり,62年(応保2)5月に東大寺領として確定。治承・寿永内乱で東大寺が焼かれると,当荘は90年(建久1)東大寺大勧進俊乗房重源(ちようげん)に与えられ,重源の申請で宋人の鋳物師陳和卿(ちんなけい)にあてがわれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

大部荘
おおべのしょう

兵庫県小野市付近にあった東大寺領荘園。成立は1147年(久安3)であるが、長く無主の荒野となっていたものを、東大寺の復興造営に従事していた勧進上人(かんじんしょうにん)俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)に与えられたのを契機に、1192年(建久3)東大寺領として境界が確認された。重源が設けた播磨別所(はりまのべっしょ)である小野市浄谷(きよたに)町の浄土寺は大仏様(天竺(てんじく)様)の名建築として著名。1294年(永仁2)大部荘の年貢を東大寺に送らないため、同荘雑掌(ざっしょう)を解任された近辺の志染保(しじみほ)雑掌垂水繁昌(たるみはんじょう)が、数百人の武装した悪党(あくとう)を率いて荘内に乱入した事件や、1454年(享徳3)同荘の地主、高利貸しである百姓五郎左衛門が荘内外の地下人(じげにん)に殺害された享徳(きょうとく)の大部荘土一揆(どいっき)は有名。

[小西瑞恵]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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