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天安門事件【てんあんもんじけん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

天安門事件
てんあんもんじけん
(1) 1976年4月5日,中国,北京の天安門前広場で,故周恩来総理に供えられた花輪の撤去をめぐって民衆当局側が衝突した事件。四・五運動とも呼ばれている。 76年1月8日に病死した周恩来を追悼する民衆が,清明節にあたる4月5日天安門前広場に多数の花輪を捧げたのに対して,当局側がこれを撤去しようとして衝突が起り,死傷者と逮捕者が出た。共産党中央政治局は,4月7日天安門事件を反革命事件であると断定し,これを理由の1つとして,鄧小平をすべての職務から解任する決議を満場一致で採択した。 10月の「四人組」逮捕後 鄧小平が復活する過程で,「四人組」がこの事件を政治的に利用し,鄧小平の失脚をはかったとされた。なお 78年 12月の 11期三中全会において,この天安門事件は「偉大な大衆運動」として名誉回復された。 (2) 1989年4月 15日の胡耀邦前共産党総書記死去を契機として起った,民主化を求める学生や市民に対する中国当局の武力弾圧事件。北京の学生たちはデモやストライキを組織し当局に腐敗反対,政治改革および民主化の実行などを求めた。4月 26日当局は学生運動を動乱として糾弾した。これに対し学生たちはさらに大規模なデモで対抗し,5月 13日から党内の意見対立やゴルバチョフの訪中を利用して,ハンストを組織し天安門広場を占拠,デモなどの街頭活動が全国の大中都市に広がった。5月 20日,当局は北京地区において戒厳令を発動し,市民および学生は戒厳軍と数日間対峙したが,6月4日戒厳軍は学生や市民に発砲し,天安門広場から排除した。その結果 300人余の死亡者を出し,多数の指導者が逮捕され,学生運動の責任を問われた趙紫陽共産党総書記らが失脚した。その一方アメリカをはじめ西側諸国は中国当局をきびしく非難し,経済制裁や政府高官訪問禁止などの措置を発動した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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朝日新聞掲載「キーワード」

天安門事件
1989年4月、中国共産党の改革派指導者だった胡耀邦・元総書記が死去。追悼する多数の学生や市民が北京の天安門広場に集まり、民主化を求める大規模な運動に発展した。トウ小平ら党指導部は運動を「動乱」と断じ、6月3日夜から4日未明にかけて軍を投入して運動を制圧。当局は死者を319人と発表したが、実際の犠牲者ははるかに多かったとされる。
(2019-06-01 朝日新聞 朝刊 1外報)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

てんあんもん‐じけん【天安門事件】
天安門広場で起こった民衆騒乱事件。
1976年4月5日、故周恩来首相を追悼する民衆が広場の人民英雄記念碑に捧げた花輪を当局が撤去したことをきっかけに発生。四・五運動。
1989年6月3~4日、同年4月の胡耀邦(こようほう)元総書記の死をきっかけに、民主化を要求して広場に参集していた学生・市民に対して人民解放軍が発砲、多数の死傷者を出した。血の日曜日事件。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

てんあんもんじけん【天安門事件】
(1)1976年4月5日,中国の北京,天安門広場で起こった民衆による騒擾事件。同年1月に死去した周恩来を追悼するため,民衆が広場の人民英雄記念碑にささげた花輪を,北京市当局が撤去した。これに憤激した民衆が,広場の一隅の建物や路上の自動車に火を放ち,騒乱状態となったが,この裏には,文化大革命以来押さえつけられて自由にものも言えなかった民衆の不満と怒りがあった。後に,この事件は,五・四運動(1919)になぞらえて,〈四・五運動〉と呼ばれ,民主の実現をめざす運動の原点とされた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

てんあんもんじけん【天安門事件】
1976年4月5日天安門広場で起こった民衆騒乱事件。故周恩来首相を追悼する民衆が人民英雄記念碑に捧げた花輪を当局が撤去したことに抗議したもの。のち、革命的行動と評価された。四・五運動。
1989年6月4日、民主化要求を掲げる学生や労働者・市民に占拠された天安門広場を奪回するため、戒厳軍が出動して多数の死傷者を出した事件。中国政府は動乱と規定して関係者を処罰した。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

天安門事件
てんあんもんじけん
中国・北京(ペキン)の天安門広場で起きた大衆反乱で、1976年の第一次天安門事件と1989年の第二次天安門事件がある。[中嶋嶺雄]

第一次天安門事件

第一次天安門事件は中国の毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)体制末期における大衆反乱で、文化大革命以来の「毛沢東思想」絶対化の風潮と毛沢東家父長体制への中国民衆の抵抗を示した画期的事件であった。1976年1月に周恩来(しゅうおんらい/チョウエンライ)首相が死去するや、中国では「走資派(資本主義の道を歩む実権派)」批判のキャンペーンが一斉に開始された。一方、長年、中国の革命と建設および国際的舞台における中国の威信の増大に努めた周恩来首相を追悼しようとする中国民衆の意向は抑えられ、ふたたび極左的な潮流が支配し始めた。そのような状況のなかで、故人をしのぶ清明(せいめい)節の日にあたる76年4月4日、北京の民衆は手に手に花輪やプラカードを掲げて、天安門広場の人民英雄記念碑に向かってデモ行進し、周恩来自筆の碑文が刻まれている記念碑を一種の祭壇に化してしまった。ところが、北京市当局と官憲が記念碑に捧(ささ)げられた花輪を撤去したために、翌5日、怒った大衆が反乱に立ち上がり、建物や自動車に放火するなどして一大騒乱となった。プラカードには、のちに「四人組」として逮捕された毛沢東夫人の江青(こうせい/チヤンチン)や側近の姚文元(ようぶんげん/ヤオウェンユアン)らを批判する詩も数多くみられ、明らかに毛沢東体制への反逆を意思表示したものであった。この事件は、公安当局と軍によって徹底的に弾圧され、反革命事件として処断されるとともに、党中央はその黒幕として小平(とうしょうへい/トンシヤオピン)(当時、中国共産党副主席・副首相、1997年死去)の責任を追及し、4月7日、彼はあらゆる職務を剥奪(はくだつ)されてふたたび失脚していった。同時にこの事件によって華国鋒(かこくほう/ホワクオフォン)が正式に首相となった。
 中国はこの年の9月、毛沢東の死を迎え、10月には北京政変によって「四人組」が逮捕されるという激動を体験したが、こうして非毛沢東化が進むなかで、1978年11月、天安門事件は「革命的行動」であったと評価が逆転した。以後、この事件は、1919年の歴史的な五・四運動になぞらえて「四・五運動」とさえよばれるようになった。[中嶋嶺雄]

第二次天安門事件

第二次天安門事件は、1989年6月3日深夜から4日早暁にかけて天安門広場で発生した「血の日曜日事件」である。その発生日から、略して「六・四」ともよぶ。同年4月中旬の胡耀邦(こようほう/フーヤオパン)・元中国共産党総書記の死を悼む形で起こった民主化運動は、“最後の皇帝”として君臨しつつあった小平の「人治」に対して「法治」を求める学生や市民の大衆運動であった。当初学生たちが中心で始められた追悼デモは民主化要求のデモに発展し、やがて広範な市民の参加を得て、広場の占拠、ハンストなどを展開した。さらに政府機関の役人、マスコミ、軍人なども参加し数万人規模でデモが繰り広げられた。この背景には、独裁的支配を強める小平と長老政治に対する不満、経済開放政策が引き起こした物価高騰に対する抗議、さらに東欧諸国で進行していた民主改革の動きの影響などがあった。同年5月中旬に、当時のソ連ペレストロイカの旗手ゴルバチョフ書記長が訪中したこともあって、連日、100万規模のデモ隊が天安門広場を埋めつくした。同年5月20日には北京市に戒厳令が布告され、ついには「六・四」の武力弾圧として人民解放軍が戦車などを出動させ、学生や市民に発砲するなどして多数の死者を出した。
 当時、学生側に共感した趙紫陽(ちょうしよう/チャオズーヤン)総書記は失脚し、江沢民(こうたくみん/チアンツォーミン)・上海市党委書記が後任に選ばれたが、民主化を求める学生や市民を「反革命暴乱」分子ときめつけた小平ら中国当局への内外の非難は重く大きくて、中国の将来にも大きな禍根を残したといわねばならない。[中嶋嶺雄]
『中嶋嶺雄著『北京烈烈』上下(1981・筑摩書房) ▽中嶋嶺雄著『中国の悲劇』(1989・講談社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

てんあんもん‐じけん【天安門事件】
[一] 一九七六年四月五日、天安門前の人民英雄記念碑に捧げられた故周恩来首相追悼の花輪を当局が撤去したことに多数の市民が抗議、騒乱となった事件。四・五運動。第一次天安門事件。
[二] 一九八九年六月三日深夜から四日未明にかけて、天安門広場で胡耀邦元総書記の死を悼み民主化を求めていた学生、市民に向けて人民解放軍が発砲した事件。事件後、学生、市民の支持が厚かった趙紫陽総書記は解任され、江沢民新総書記を選任した。第二次天安門事件。血の日曜日事件。

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