@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

天平勝宝【テンピョウショウホウ】

デジタル大辞泉

てんぴょうしょうほう〔テンピヤウシヨウホウ〕【天平勝宝】
奈良時孝謙天皇の時の年号。749年7月2日~757年8月18日。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版

てんぴょうしょうほう【天平勝宝】
年号(749.7.2~757.8.18)。天平感宝の後、天平宝字の前。孝謙天皇の代。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本の元号がわかる事典

てんぴょうしょうほう【天平勝宝】
日本の元号(年号)。奈良時代の749年から757年まで、孝謙(こうけん)天皇の代の元号。前元号は天平感宝(てんぴょうかんぽう)。次元号は天平宝字(てんぴょうほうじ)。749年(天平感宝1)7月2日改元。孝謙天皇の即位にともない行われた(代始改元)。この頃、朝廷政治の中心は橘諸兄(たちばなのもろえ)だったが、孝謙天皇即位後、藤原仲麻呂(なかまろ)(後の恵美押勝(えみのおしかつ)、藤原武智麻呂(むちまろ)の子・藤原不比等(ふひと)の孫)の発言力が増し、諸兄は酒席で不敬の言があったとの讒言が原因で失脚した。一方、752年(天平勝宝4)には東大寺大仏(盧舎那(るしゃな)仏像)が完成し、開眼供養会(かいげんくようえ)が催された。754年(天平勝宝6)には唐より鑑真(がんじん)が来日している。前天皇の聖武帝は756年(天平勝宝8)に56歳で崩御し、皇太后の光明子(こうみょうし)は聖武の遺品を東大寺に納めた。これが東大寺正倉院の始まりである。755年(天平勝宝7)には、勅命により「年」の記述が「歳」に改められた。このため、以後は天平勝宝7歳・8歳・9歳と表記された。なお、天平宝字改元した時、再び「歳」から「年」に復されている。◇「てんびょうしょうほう」とも読む。

出典:講談社
(C)Kodansha.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

てんびょうしょうほう【天平勝宝】
⇒天平勝宝(てんぴょうしょうほう)

出典:講談社
(C)Kodansha.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

てんぴょうしょうほう テンピャウ‥【天平勝宝】
奈良時代、孝謙天皇の代の年号。天平感宝元年(七四九)七月二日に天皇即位により改元、天平勝宝九年(七五七)八月一八日に天平宝字元年となる。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

天平勝宝」の用語解説はコトバンクが提供しています。

天平勝宝の関連情報

関連キーワード

天平感宝日本におけるおもな時代区分新島荘大伴牛養行基孝謙天皇橘奈良麻呂生江東人孝謙天皇サッファーフ

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation