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天武天皇【てんむてんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

天武天皇
てんむてんのう
[生]?
[没]朱鳥1(686).9.9. 大和,飛鳥
第 40代の天皇 (在位 673~686) 。生年は明らかでないが,舒明3 (631) 年説が有力である。名は大海人皇子 (おおあまのおうじ) 。舒明天皇の第3皇子。母は皇極 (斉明) 天皇。天智天皇の弟。大化改新およびそれに続く内政,外交上の大変革期に成長,天智7 (668) 年皇太子となり,兄天智天皇を助けたが,兄が崩御すると吉野に入り,弘文1 (672) 年兵をあげて大友皇子を自殺させ (→壬申の乱 ) ,翌年2月 27日には飛鳥浄御原宮即位,妃う野 (うの) 皇女 (天智天皇皇女,のちの持統天皇) を皇后とした。皇権の安定化,改新事業の推進に努め,律令体制の強化,すなわち律令の改定,八色の姓 (やくさのかばね) の創始,官位制の拡充,国史撰修などを行なった。諡 (おくりな) は天渟中原瀛真人天皇 (あめのぬなはらおきのまひとのみこと) で,陵墓は奈良県高市郡明日香村の檜隈大内陵。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

てんむ‐てんのう〔‐テンワウ〕【天武天皇】
[?~686]第40代の天皇。在位673~686。舒明天皇の第3皇子。名は大海人(おおあま)。母は皇極天皇斉明天皇)。兄の天智天皇の子の大友皇子(弘文天皇)が太政大臣になると皇太子の地位を去り、吉野に隠退。天智天皇後、皇位を争って大友皇子を打倒(壬申の乱)。乱後、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で即位。八色(やくさ)の姓(かばね)制定や国史の編纂(へんさん)などにより律令制を整備した。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

天武天皇 てんむてんのう
?-686 飛鳥(あすか)時代,第40代天皇。在位673-686。
舒明(じょめい)天皇の皇子。母は宝皇女(のち皇極・斉明天皇)。天智(てんじ)天皇の同母弟。天智天皇の子大友皇子(弘文天皇)との皇位をめぐる争い(壬申(じんしん)の乱)に勝利し,飛鳥の浄御原(きよみはらの)宮で即位。天皇中心の政治の確立をめざし,飛鳥浄御原令(りょう)や八色(やくさ)の姓(かばね)などを制定した。皇后は鸕野讃良(うののさらら)皇女(持統天皇)。朱鳥元年9月9日死去。墓所は檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)(奈良県明日香村)。別名は大海人(おおあまの)皇子,天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと),浄御原天皇。
【格言など】凡(およ)そ政(まつりごと)の要は軍事なり(天武天皇13年の)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

てんむてんのう【天武天皇】
?‐686(朱鳥1)
第40代にかぞえられる天皇。在位673‐686年。いわゆる白鳳時代律令国家形成を推進した。名は大海人(おおあま)皇子。舒明天皇の子,母は宝皇女(のちの皇極天皇),同母兄に中大兄皇子(天智天皇)がいる。生年は不明だが,天智より5歳年少の631年(舒明3)の生れとするのが通説。それに従うと大化改新のはじまる645年(大化1)には15歳で,直接の関係はなかったと思われる。しかし成長するにしたがって中大兄の政治を助けたであろう。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

てんむてんのう【天武天皇】
?~686 日本書紀で第四〇代天皇の漢風諡号しごう673~686)。名は大海人おおあまの皇子。和風諡号は天渟中原瀛真人あまのぬなはらおきのまひと。舒明天皇第三皇子。兄、天智天皇の皇太子となったが、天皇の死に際し、吉野に退去。672年挙兵して、大友皇子を破り、飛鳥浄御原あすかきよみはらに即位。在位中、国史の撰修に着手、八色姓やくさのかばねを制定し、律令体制を推進した。 → 壬申じんしんの乱

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

天武天皇
てんむてんのう
(?―686)
第40代天皇(在位673~686)。舒明(じょめい)天皇の皇子。母はその皇后にあたる皇極(こうぎょく)天皇で、天智(てんじ)天皇の同母弟。諱(いみな)を大海人(おおあま)皇子といい、草壁(くさかべ)、大津(おおつ)、高市(たけち)、舎人(とねり)の諸皇子らの父。天皇の生涯の前半は兄の天智天皇の活躍に隠れているが、かなりの部分、行動をともにしたらしい。668年(天智天皇7)兄が即位すると(天智天皇)、皇太弟として政治を助けた。しかし天智天皇の子の大友(おおとも)皇子が成人すると、皇嗣(こうし)問題で両者は対立するに至った。671年に大友皇子は太政大臣となったが、これにより大海人皇子は政権から疎外され、両者の対立は決定的となった。この年の秋、病床に臥(ふ)した天皇は後事を大海人皇子に託そうとしたが、陰謀のあることを知った皇子は、病気全快を祈るため出家するとの名目で辞退し、吉野に引きこもった。同年末、天智天皇は近江大津宮(おうみおおつのみや)に崩じたが、翌672年6月、近江方の動きを察した皇子は、先手を打って少数の舎人らと挙兵し、鈴鹿(すずか)、不破(ふわ)の関をふさいで東国の兵を動員して戦闘に臨んだ。約1か月の戦いののち近江大津宮に攻め入り、大友皇子(弘文(こうぶん)天皇)を自殺させ勝利を得た。いわゆる壬申(じんしん)の乱である。
 673年飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)に即位し、天智天皇の子の(うの)皇女をたてて皇后とした(後の持統(じとう)天皇)。以後、天皇権力の安定強化に力を注ぎ、律令(りつりょう)制支配の完成を目ざした。このために官人の任官昇進規定などを法令化し、豪族たちの官僚化に努めた。684年に八色(やくさ)の姓(かばね)の制を定め、皇室との親疎を規準とする身分制を設け、翌年に親王、諸王に十二階、諸臣に四十八階の位階制を設け、草壁皇子以下諸皇子に位を与え、天皇以外は位階序列のなかに位置づけた。また大化改新以来の公地公民制の実施も進められ、675年には諸氏族の部曲(かきべ)の廃止、諸王臣私有の山野の収公などの処置に出た。翌々年には諸王臣の封戸(ふこ)に対して強い統制を及ぼし、封戸の民と給主との私的な結び付きを断つ方策を実施した。
 一方、681年から開始された律令と史書の編纂(へんさん)事業は、天皇の死によって中断されたが、それぞれ後継者により継承され完成した。すなわち、令は持統天皇によって689年(持統天皇3)に『浄御原令(きよみはらりょう)』として諸官司に頒布され(律は未完成に終わった公算が大)、さらに、『大宝(たいほう)律令』として701年(大宝1)に大成されている。また史書の編纂は712年(和銅5)の『古事記』、720年(養老4)の『日本書紀』として実を結んでいる。天武天皇の政治は天智天皇のそれを継承しているが、単なる継承ではなく、天皇を頂点とする中央集権的支配体制の確立を、より徹底化、促進化したものとして注目される。686年(朱鳥1)崩ず。御陵は大和(やまと)国高市(たけち)郡(奈良県明日香(あすか)村野口字王墓)にあり、檜隈大内(ひのくまおおうち)陵という。『万葉集』に天皇の歌が四首収められているが、そのうち額田王(ぬかたのおおきみ)との間に交わされた歌(巻1―21)や、壬申の乱直前に吉野入りしたとき自己の心情を歌った歌(巻1―25)などは名高い。また同歌集に「大王(おおきみ)は神にしませば」という語句で始まり、天武天皇およびその一族をたたえた歌がみえるが、これは壬申の乱に勝利を得た天皇への畏敬(いけい)と、勝利をともに戦い抜いた天皇への親近感をこめたもので、こうした歌がその後二十数年で絶えるのは、天皇の存在がそうした畏敬や親近感から遠いものになる一方、作者たちも整然とした官人秩序のなかに身を置かざるをえなくなったからであると説かれている。[亀田隆之]
『川崎庸之著『天武天皇』(岩波新書) ▽亀田隆之著『壬申の乱』(1961・至文堂) ▽直木孝次郎著『壬申の乱』(1961・塙書房) ▽北山茂夫著『壬申の内乱』(岩波新書) ▽北山茂夫著『天武朝』(中公新書)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

てんむ‐てんのう ‥テンワウ【天武天皇】
第四〇代の天皇(在位六七三‐六八六)。舒明天皇の子。名は大海人皇子(おおあまのおうじ)。兄の天智天皇即位の際、皇太弟となったが、天皇の死を前に吉野山中に退去、六七二年大友皇子(弘文天皇)との間に壬申の乱が起こり、旧勢力を平定、即位した。飛鳥浄御原律令、国史の選修、八色(やくさ)の姓(かばね)制定を行なって律令体制を強化した。天武一五年(六八六)没。

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旺文社日本史事典 三訂版

天武天皇
てんむてんのう
?〜686
7世紀後期の天皇(在位673〜686)
舒明 (じよめい) 天皇第3皇子。母は皇極(斉明)天皇。大海人 (おおあま) 皇子と称した。兄天智天皇を助け大化の改新政治の確立に尽くしたが,皇嗣問題などをめぐって不和となった。天智天皇死後吉野に退き,大友皇子(弘文天皇)との間に壬申の乱(672)がおこったが,東国を基盤としてこれに勝ち,673年飛鳥浄御原 (あすかきよみはら) 宮で即位。律令の制定や国史の編纂に着手し,八色の (やくさのかばね) の制定など大化の改新以来の事業を確立した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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