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天野八郎【あまのはちろう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

天野八郎
あまのはちろう
[生]天保2(1831).上野,磐戸
[没]明治1(1868).江戸
江戸時代末期の幕臣。彰義隊副長。大政奉還に強く反対。徹底抗戦後捕えられ獄死

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

天野八郎 あまの-はちろう
1831-1868 幕末の武士。
天保(てんぽう)2年生まれ。慶応4年彰義隊を組織し,副頭取となる。江戸上野寛永寺にたてこもり,新政府軍とたたかったが敗れ,潜伏中に捕らえられ明治元年11月8日獄中で病死した。38歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。本姓は大井田。名は忠告。号は斃止。著作に「斃休録」。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

あまのはちろう【天野八郎】
1831‐68(天保2‐明治1)
彰義隊副頭取。上野国甘楽郡磐戸村の名主大井田吉五郎忠恕の次男。江戸に出て旗本天野氏を名のる。1868年(明治1)官軍の東征が始まるや,徳川氏の受けた朝敵の汚名をそそごうと幕臣たちを集め,彰義隊を組織して副頭取となる。前将軍徳川慶喜などの説得にも応ぜず,上野寛永寺を本拠として官軍に抵抗。敗軍後市中に潜伏して再挙をはかるが,捕らえられて獄死した。【高木 俊輔】

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

天野八郎
あまのはちろう
(1831―1868)
幕末の彰義隊副頭取。上野(こうずけ)国(群馬県)甘楽(かんら)郡磐戸(いわと)村で生まれる。1865年(慶応1)江戸定火消与力(じょうびけしよりき)広浜氏の養子となり、翌1866年幕臣天野氏を継いだ。1868年2月彰義隊を結成、一橋(ひとつばし)家の臣渋沢喜作(成一郎)を頭取とし、自らは副頭取となった。上野寛永寺を本拠とし、輪王寺宮を擁して徳川家の再興を図る。渋沢が脱してから実権を握った。5月官軍の攻撃に敗れて音羽(おとわ)護国寺に逃れ、市内潜伏中7月13日捕らえられ獄中に病死した。享年38。遺骸(いがい)は小塚原(こづかっぱら)に埋葬され、のち東京都荒川区南千住の円通寺に改葬された。[小島政孝]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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