●太平道【たいへいどう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
太平道
たいへいどう
Tai-ping-dao
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デジタル大辞泉
たいへい‐どう〔‐ダウ〕【太平道】
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世界大百科事典 第2版
たいへいどう【太平道 Tài píng dào】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
太平道
たいへいどう
中国、後漢(ごかん)末期におこった新宗教。干吉(かんきつ)が神人から授けられた『太平清領書(たいへいせいりょうしょ)』170巻によって、張角(ちょうかく)がこの宗教を始めたと伝えられる。これに太平道という呼称が与えられたのは、この書に基づくと考えられる。彼の教法とは、神は地上の人々の日常行為を監察しており、罪過を犯すとその罰として病気にかからせる。そこで、病人をして自己の犯した罪を反省し、神の前に懺悔(さんげ)告白させ、ふたたび罪を犯さないことを誓わせる。そのうえで、霊力があるとされる符水(ふすい)を飲ませ、聖職者(師)が神呪(しんじゅ)を唱えて神の許しを請う、というものである。このような方法で病気の治った者も多く、下層農民や流民は彼の教法を信じ、わずかな期間に、信徒が数十万人に及んだ。すなわち、太平道教団は個人的信仰に基づく集団であり、その成立には豪族の跋扈(ばっこ)による社会の変質が大きく作用していると考えられる。なお、張角は184年に黄巾(こうきん)の乱を起こしたことでも有名である。
[尾崎正治]
『福井康順著『道教の基礎的研究』(1952・理想社)』▽『大淵忍爾著『道教史の研究』(1964・岡山大学共済会書籍部)』
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精選版 日本国語大辞典
たいへい‐どう ‥ダウ【太平道】
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旺文社世界史事典 三訂版
太平道
たいへいどう
五斗米道とともに道教の源流をなす。後漢 (ごかん) 末期の混乱に乗じて張角みずから大賢良師と称し,宗教的儀礼により病人を治すかたわら,独占を廃し,平等を唱えた。十余年の間に河北・山東・河南に信者数十万を得,漢室に代わろうとして,184年黄巾の乱を起こした。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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