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太秦【うずまさ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

太秦
うずまさ
京都市右京の一地区。旧村名。 1931年京都市に編入地名は,朝鮮半島から渡来した (はた) 一族がここに住んでいたことに由来弥勒菩薩で有名な広隆寺がある。西高瀬川沿いには江戸時代以来,製材所が多い。映画撮影所があり,75年観光用の映画村が開設された。近郊農業地域であったが,近年は市街地化が著しい。

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デジタル大辞泉

うずまさ〔うづまさ〕【太秦】
《古くは「うつまさ」とも。雄略天皇のとき、秦酒公(はたのさけのきみ)が賜った禹豆麻佐(うつまさ)に由来する》京都市右京区の地名。朝鮮から渡来した秦(はた)氏の居住した地で、氏寺として建立された広隆寺がある。昭和初期に映画産業の中心の一つとなり、現在は映画村がある。

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世界大百科事典 第2版

うずまさ【太秦】
京都市右京区の地名。現在は御室(おむろ)川の西側,双ヶ岡(ならびがおか)南西東西約2km,南北約1.5kmの範囲の65町を指し,ほとんど全域が市街化している。北半部は低位洪積段丘上,南半部は沖積平野であり,京都盆地北西部最大の横穴式石室をもつ蛇塚古墳()などの前方後円墳広隆寺は段丘端付近に立地している。太秦付近一帯は,平安京西郊にあたり,その造営に貢献した秦(はた)氏の根拠地と考えられている。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

太秦
うずまさ

京都市右京区の一地区。平安京遷都前から渡来人秦(はた)氏一族の居住した所。地名は酒公(さけのきみ)の姓、禹豆満佐(うずまさ)に由来する。秦河勝(かわかつ)が建立した広隆寺(こうりゅうじ)には、京都最古の仏像の弥勒菩薩(みろくぼさつ)像をはじめ、国宝、重要文化財の仏像が蔵されている。JR山陰本線、京福電鉄嵐山(あらしやま)線が通じ、現在は右京区役所があり、洛西(らくせい)工業地域として、機械、染色などの諸工業が発達する。また日本の映画産業の一中心をなし、東映撮影所に置かれた映画村は観光客の人気を集めている。

[織田武雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

うずまさ うづまさ【太秦】
(古くは「うつまさ」)
[一] 秦(はた)氏の姓。雄略天皇の時首長の秦酒公(さけのきみ)が絹を織って献上し、禹豆麻佐(うずまさ)の姓を賜わり、後に太秦の字をあてたという。松尾神社を氏神とし、広隆寺を氏寺とする。
※書紀(720)雄略一五年(前田本訓)「庸調の絹縑を奉献りて朝庭に充積む。因りて姓を賜ひて禹豆麻佐(ウツマサ)と曰ふ」
[二] 京都市右京区中部の地名。秦氏の一族が禹豆麻佐(うずまさ)の姓を賜わって居住したために呼ばれた。大正末から映画会社の撮影所の設置で知られる。広隆寺(太秦の太子堂)がある。
[三] 京都市右京区太秦にある広隆寺をいう。

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