●契丹【きったん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
契丹
きったん
Qi-dan; Ch`itan
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デジタル大辞泉
キタイ(Khitai)
[補説]「契丹」とも書く。
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きったん【契丹】
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けいたん【契丹】
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世界大百科事典 第2版
きったん【契丹】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
契丹
きったん
古くから中国の興安嶺(こうあんれい)東部のシラムレン川流域に遊牧し、10世紀の初め遼(りょう)王朝を建設したモンゴル系の民族。契丹の名を伝えた最初の文献は4世紀の北魏(ほくぎ)王朝の正史『魏書』であるが、8世紀前半のオルホン碑文にはキタイ、8世紀後半のウイグル碑文にはキタン(キタイの複数形)と記されているから、契丹はその音を漢字で写したものであろう。今日、ロシア語、トルコ語、ギリシア語で中国のことをキタイとよぶのは契丹に由来するという。
初めシラムレン川流域にいた契丹族は5世紀には南方に移住し、大凌河(だいりょうが)流域に遊牧した。隋(ずい)・唐時代には営州(現在の遼寧(りょうねい/リヤオニン)省朝陽(ちょうよう/チャオヤン))に住み、首長(しゅちょう)は都督の職を与えられて中国の庇護(ひご)を得ていたが、696年営州に反乱が起き唐軍の討伐を受けてからしだいに移動し、シラムレン川とラオハ川の合流点付近に本拠を移した。契丹は8部ないし10部の部族から構成され、各部は馬をトーテムとする耶律(やりつ)姓と牛をトーテムとする審密(しんみつ)姓(蕭(しょう)姓)との二つの氏族(フラトリー)に分属していたが、唐王朝との闘争を通じて部族が結集して協力するようになった。10世紀の初め、迭剌(てつら)部から耶律阿保機(やりつあぼき)が出ると、それまでの君長互選制を廃止し、907年皇位につき、君主独裁の大契丹国を建てた。阿保機はタングート、吐谷渾(とよくこん)、タタール、ウイグルを攻め、渤海(ぼっかい)国を滅ぼし、927年死亡した。その次男の太宗は中国に侵入して後晋(こうしん)を滅ぼし、947年、国号を大遼国と改めた。
[河内良弘]
『田村実造著『中国征服王朝の研究 上』(1964・東洋史研究会)』▽『愛宕松男著『契丹古代史の研究』(1959・東洋史研究会)』
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精選版 日本国語大辞典
キタイ【契丹】
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けい‐たん【契丹】
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きったん【契丹】
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旺文社世界史事典 三訂版
契丹
きったん
Ch'i-tan
10世紀初め耶律阿保機 (やりつあぼき) がこの部族を統一して中国北部を領有,契丹国(のちに遼,916〜1125)を建国した。領土は満州・モンゴル・華北にまたがる。女真族の金に滅ぼされたが,耶律大石 (やりつたいせき) は西走して中央アジアに西遼(黒契丹・カラ−キタイ,1132〜1211)を建てた。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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