●奥村五百子【オクムライオコ】
デジタル大辞泉
おくむら‐いおこ〔‐いほこ〕【奥村五百子】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
奥村五百子 おくむら-いおこ
弘化(こうか)2年5月3日生まれ。高杉晋作,野村望東尼とまじわり尊攘(そんじょう)運動に参加。北清事変の際,日本軍を慰問したことをきっかけに,明治34年軍事援護を目的とする愛国婦人会を組織。全国を遊説して組織の拡大につとめた。明治40年2月7日死去。63歳。肥前唐津(佐賀県)出身。
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デジタル大辞泉プラス
奥村五百子(いおこ)
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世界大百科事典 第2版
おくむらいおこ【奥村五百子】
愛国婦人会の創立者。肥前国唐津生れ。東本願寺派釜山海高徳寺住職の娘。男装で萩藩に使いし,尊王攘夷運動に加わる。福成寺住職大友法忍と死別後,1870年(明治3)藤田東湖の門下生鯉淵彦五郎と再婚。維新後は征韓論を主張して夫と主義を異にし,2女1男を連れて離婚。布教のため朝鮮に渡り,96年光州に養蚕・農業指導の実業学校を設立。北清事変で戦争の悲惨さを目撃し,傷病兵の救護,遺家族救済の事業を興す必要を痛感し,対露主戦派の近衛篤麿や華族婦人の援助を得て,1901年愛国婦人会を創立。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
奥村五百子
おくむらいおこ
(1845―1907)
愛国婦人会の創立者。弘化(こうか)2年5月3日肥前(ひぜん)国(佐賀県)唐津(からつ)の寺家に生まれる。勤王家の父の影響で尊王攘夷(そんのうじょうい)運動に参加。1887年(明治20)離婚後政治に傾倒、唐津開港問題などに関与し、日清(にっしん)戦争後には朝鮮の光州(こうしゅう)で実業学校を経営した。1900年(明治33)の義和団(ぎわだん)事件に際し戦地を視察、軍人遺族の救護こそ婦人の務めと痛感し、1901年愛国婦人会を発起した。以後、組織づくりに奮闘し同会を飛躍的に発展させたが、病のため1906年郷里に隠退、翌明治40年2月7日死去した。
[阿部恒久]
『大久保高明著『奥村五百子詳伝』(1908・愛国婦人会)』
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精選版 日本国語大辞典
おくむら‐いおこ【奥村五百子】
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旺文社日本史事典 三訂版
奥村五百子
おくむらいおこ
明治時代の社会運動家
肥前(長崎県)唐津の寺院に生まれ,父兄とともに尊王攘夷運動に参加。大陸問題に関心をもち征韓論を支持し,1896年朝鮮に実業学校を創設。北清事変の戦線慰問を機に遺族・廃兵救護の必要を感じ,1901年愛国婦人会を結成した。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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