●女歌舞伎【おんなかぶき】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
女歌舞伎
おんなかぶき
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デジタル大辞泉
おんな‐かぶき〔をんな‐〕【女歌舞伎】
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世界大百科事典 第2版
おんなかぶき【女歌舞伎】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
女歌舞伎
おんなかぶき
創始期の歌舞伎の名称。広義には阿国(おくに)歌舞伎をも含めて、主演者が女性である歌舞伎踊の芸能をよぶ名であるが、普通は阿国歌舞伎以後、これを模倣して演じられるようになった遊女による歌舞伎踊、いわゆる「遊女歌舞伎」をさしてよぶことが多い。1605年(慶長10)以後ほとんど全国的に流行し、1629年(寛永6)に風俗を乱すとの理由で禁じられるまで続いた。この時代はたまたま京都、大坂、江戸をはじめ各地方の都市に遊里が固定した時代であり、それら遊女屋が座を組織して売色の効果的な手段として興行したものである。たとえば、『東海道名所記』に「六条の傾城町(けいせいまち)より佐渡島といふもの、四条川原に舞台をたて、けいせい数多(あまた)出して舞をどらせけり」というのがその性格であった。当時新渡来の三味線を抱えた女太夫(たゆう)(和尚(おしょう)とよんだ)が舞台中央に、クジャクの羽根やトラの皮をかけた豪華な椅子(いす)に座って弾じると、これを取り巻く多数の遊女たちが、声をそろえて歌を歌い、振りをそろえて扇情的な踊りを踊った。張見世(はりみせ)的なレビューと思えばよい。佐渡島正吉、村山左近、岡本織部、小野小太夫、出来島隼人(はやと)、杉山主殿(たのも)、幾島丹後守(いくしまたんごのかみ)らの遊女は、歌舞伎踊によって名を残した。
女歌舞伎は新興の城下町、門前町、鉱山町、港湾町などに下り、またその地に発生するものもあって盛行を示した。諸国の大名にもこれを愛好する者が多く、浅野幸長(よしなが)、伊達政宗(だてまさむね)、加藤清正らが酒席に歌舞伎太夫を招き、芸を演じさせた記録がある。近世初頭のキリシタン関係の史料にも女歌舞伎の太夫を酒席にはべらせた記事が散見される。女歌舞伎の小屋の構造、観客の身分、男女風俗、舞台で行われている芸態などは、数多く残っている四条河原図や洛中(らくちゅう)洛外図などに余すところなく描き出されている。1629年(寛永6)の女性芸能禁止のあとは、並行して行われていた若衆の芸能が押し出される形となり、若衆(わかしゅ)歌舞伎と称されるようになった。
[服部幸雄]
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精選版 日本国語大辞典
おんな‐かぶき をんな‥【女歌舞伎】
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旺文社日本史事典 三訂版
女歌舞伎
おんなかぶき
京都傾城町の佐渡が島一座が代表的。伴奏に当時普及の三味線を使い,男装数十人が出演,のち劇的構成も加味され各地に流行した。風紀上から1629年幕府に禁止され,以後若衆歌舞伎となった。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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