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妙心寺【みょうしんじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

妙心寺
みょうしんじ
京都府京都市右京区にある寺。臨済宗妙心寺派の大本山。山号は正法山。延元2=建武4(1337)年花園上皇(花園天皇)が離宮改め寺としたのが起源で,開山関山慧玄。応仁の乱兵火によって灰燼に帰したが,雪江宗深再興に努めた。江戸時代には,幕府,諸侯の帰依があつく,五山の外でありながらその勢力は臨済諸派のうち,第1位を占めた。寺域広大,堂舎二十数宇,塔頭 46院あり,大燈国師妙超墨跡 2幅および日本最古の梵鐘(698造)が国宝仏殿法堂,山門など重要文化財多数を蔵する。今日,日本の臨済宗の諸派のうちでは妙心寺派が最も多い。

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デジタル大辞泉

みょうしん‐じ〔メウシン‐〕【妙心寺】
京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の大本山。山号は、正法山。花園上皇が延元2=建武4年(1337)離宮を禅寺とし、関山慧玄を招いて開山とした。応仁の乱で焼失したが雪江宗深が再興。伽藍配置は近世禅宗寺院様式を示す貴重な例。国宝の梵鐘や大灯国師墨跡をはじめ、各塔頭(たっちゅう)にも多くの重要な書画・工芸品を蔵す。

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デジタル大辞泉プラス

妙心寺
京都府京都市右京区にある寺院。臨済宗妙心寺派大本山。山号は正法山。本尊は釈迦如来。1337年に花園天皇が離宮を寺に改め開山したと伝わる。敷地内には46もの塔頭寺院が立ち並び、方丈庭園は国の名勝・史跡に指定。国宝の梵鐘など数多くの文化財を保有する。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

みょうしんじ【妙心寺】
京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派の総本山。正法山と号する。花園上皇は大徳寺開山の宗峰妙超(しゆうほうみようちよう)(大灯国師)に禅して禅要をきわめていたが,1337年(延元2∥建武4)妙超が病臥すると,その離宮の萩原殿を寺に改め,住持の推挙と寺号の命名を妙超に求めた。妙超は法嗣関山慧玄(かんざんえげん)を推し,正法山妙心寺と名づけたのが当寺の起源である。慧玄は権力に接近することを嫌い修業第一に徹し,清素な生活の中で峻厳枯淡の禅を追求したが,この開山の禅風はその後の当寺の伝統となった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

みょうしんじ【妙心寺】
京都市右京区花園妙心寺町にある臨済宗妙心寺派の大本山。山号、正法山。花園天皇が退位後に、1337年離宮の地に関山慧玄かんざんえげんを開山として招き創建。応仁の乱で焼失。秀吉らの援護を受け江戸初期に現在の伽藍がらんとなり復旧。近世禅宗伽藍の典型をなす。室町期の塔頭たつちゆう遺構のほか多くの重要な書画・工芸品を蔵す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

妙心寺
みょうしんじ
京都市右京区花園(はなぞの)妙心寺町にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の大本山。山号は正法山(しょうほうざん)。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。もと花園天皇の離宮として造営され、萩原殿(はぎわらどの)と称した。花園天皇は退位ののち、1342年(興国3・康永1)に離宮を改めて禅寺とし、美濃(みの)(岐阜県)伊深(いぶか)の里から関山慧玄(かんざんえげん)を招いて開山とした。創建年については諸説ある。さらに上皇は寺内に玉鳳(ぎょくほう)院を営んで移り住み、日夜、関山慧玄について参禅された。応永(おうえい)の乱(1399)の際に住持拙堂宗朴(せつどうそうぼく)が大内義弘(よしひろ)に加担したということで、足利義満がその寺領を没収したため、一時、南禅寺徳雲院の管理下に置かれることになった。第7世日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)のときふたたび独立し、学徒を大いに教化し、荒廃した諸堂塔を復興したが、応仁(おうにん)の乱(1467~1477)の兵火でまたも烏有(うゆう)に帰した。1477年(文明9)第9世雪江宗深(せっこうそうしん)(1408―1486)が後土御門(ごつちみかど)天皇の綸旨(りんじ)を奉じて再興し、中興の祖となった。その門下に特芳禅傑(とくほうぜんけつ)(霊雲派)、東陽英朝(とうようえいちょう)(聖沢(しょうたく)派)、悟渓宗頓(ごけいそうとん)(東海派)、景川宗隆(けいせんそうりゅう)(竜泉派)の四哲が出、それぞれ一院を開いて以降、寺門は大いに興隆する。また織田、豊臣、徳川をはじめとする諸大名の外護(げご)により伽藍(がらん)も旧に復し、五山十刹(じっせつ)のほかではあったが、臨済宗諸派の第一位を占めるまでに至った。同じ臨済宗の大徳寺とは江戸時代以後も長く争ったが、妙心寺には代々俊秀が輩出した。とくに近世後期に入って妙心寺派から白隠慧鶴(えかく)が出て、臨済宗の主流となった。
 寺域は広大で庭園も優れ、堂舎二十数宇のうち、主要な建造物は桃山建築で、勅使門、山門、仏殿、法堂(はっとう)、寝堂(いずれも国重要文化財)など多くは唐様(からよう)である。方丈の襖(ふすま)絵は狩野探幽(かのうたんゆう)・益信(ますのぶ)の筆になり、庭園は国の名勝・史跡。そのほか日本最古の梵鐘(ぼんしょう)(黄鐘調(おうじきちょう)の鐘、国宝)、大燈(だいとう)国師墨蹟(ぼくせき)(国宝)や海北(かいほう)派の水墨画、頂相(ちんそう)など什宝(じゅうほう)も多い。塔頭(たっちゅう)は退蔵院、霊雲院、桂春(けいしゅん)院、東海庵(あん)、玉鳳院、春光院、春浦(しゅんぽう)院、天球院など48院を数え、末寺に至っては瑞巌(ずいがん)寺(宮城県)、平林(へいりん)寺(埼玉県)以下約3500か寺を擁する。[平井俊榮]
『『古寺巡礼 京都10 妙心寺』(1977・淡交社) ▽荻須純道著『妙心寺』(1977・東洋文化社) ▽川上孤山著『妙心寺史』(1975・思文閣出版)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

みょうしん‐じ メウシン‥【妙心寺】
京都市右京区花園妙心寺町にある臨済宗妙心寺派の大本山。山号は正法山。建武四年(一三三七)花園天皇が離宮萩原殿を寺としたもので、関山慧玄(えげん)を招いて開山とした。天皇はみずから玉鳳院に居住した。足利義満は祈願所としたが大内義弘の乱に関連あるとして寺領を没収し、龍雲寺と改称して一時廃絶。のち七世日峰宗舜が復興したが応仁の乱で焼失、九世雪江宗深が再興。堂舎二十数棟、龍泉庵・霊雲院・東海庵・聖沢院・退蔵院・桂春院など四八院をもつ。大灯国師墨蹟(ぼくせき)二幅、梵鐘(ぼんしょう)は国宝。

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