●孝謙天皇【コウケンテンノウ】
デジタル大辞泉
こうけん‐てんのう〔カウケンテンワウ〕【孝謙天皇】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
孝謙天皇 こうけんてんのう
養老2年生まれ。聖武(しょうむ)天皇の皇女。母は光明(こうみょう)皇后。父の譲位をうけて,天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年即位。この年2度改元。藤原仲麻呂(なかまろ)を重用する。4年東大寺大仏が完成,盛大に開眼供養した。翌年には鑑真が来日。橘奈良麻呂の変をおさめて天平宝字2年譲位。のち重祚(ちょうそ)して第48代称徳天皇。神護景雲(じんごけいうん)4年8月4日死去。53歳。別名は阿倍内親王,宝字称徳孝謙皇帝,高野天皇(たかぬのすめらみこと),高野姫尊。⇒称徳天皇
【格言など】国家の大事,賞罰の二つの柄は朕行わん(天平宝字6年の宣命)
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世界大百科事典 第2版
こうけんてんのう【孝謙天皇】
第46代に数えられる奈良後期の女帝。在位749‐758年。のち重祚して第48代に数えられる称徳天皇。在位764‐770年。聖武天皇の皇女,母は光明皇后,諱(いみな)は阿倍,高野天皇ともいう。738年(天平10)1月はじめて未婚の女性ながら立太子,皇太子学士吉備真備について学び,743年の5月5日には内裏で五節舞を舞った。749年(天平勝宝1)7月聖武天皇の譲位によって即位したが,実権は,紫微中台(しびちゆうだい)を設け藤原仲麻呂を紫微令に任じた母の光明皇太后が掌握していた。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
孝謙天皇
こうけんてんのう
(718―770)
第46代とされる天皇(在位749~758)。女帝。重祚(ちょうそ)して第48代称徳(しょうとく)天皇(在位764~770)となった。
[編集部]
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精選版 日本国語大辞典
こうけん‐てんのう カウケンテンワウ【孝謙天皇】
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旺文社日本史事典 三訂版
孝謙天皇
こうけんてんのう
奈良時代の女帝(在位749〜758)
聖武天皇第2皇女。母は光明皇后。聖武天皇から譲位され,在位中に東大寺大仏開眼会を挙行。初め藤原仲麻呂を重用したが,淳仁天皇に譲位したのち,道鏡を寵愛したため藤原仲麻呂が乱をおこした(恵美押勝の乱)。乱後,淳仁天皇を退位させ,重祚 (ちようそ) して称徳天皇(在位764〜770)と称した。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
孝謙天皇
こうけんてんのう
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