●学侶【ガクリョ】
デジタル大辞泉
がく‐りょ【学侶】
2 仏法を専修する僧。また、師匠の資格のある僧。
3 高野三方(こうやさんかた)の一で、密教を専修する僧。学侶方。また、比叡山の学匠をもいう。
「合戦度々に及ぶ。毎度に―うちおとされて」〈平家・二〉
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世界大百科事典 第2版
がくりょ【学侶】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
学侶
がくりょ
高野山(こうやさん)、比叡山(ひえいざん)などの大寺で、仏教の学問を専修する僧侶を総称していう。学生(がくしょう)ともいう。平安時代後半から、貴族などの良家の子弟が出家して、大寺に入ると、僧侶としての高位を目ざせる学侶となっていった。高野山においては、1130年(大治5)覚鑁(かくばん)が学侶36人を置いて堂衆(どうしゅう)と区別した。堂衆はのち行人(ぎょうにん)とよばれ、もっぱら財務、法会の雑務に従事した。また隠遁(いんとん)して念仏修行を行う聖(ひじり)という集団が現れ、一山に、学侶方(がた)、行人方、聖方の3階級(高野三方(さんかた))が明確化した。以来、学侶方は学問、信仰の指導的立場にたつが、一山運営の実際上の権力は堂衆が握り、15世紀なかばから両者は対立して紛争が絶えず、学侶は実権を失った。江戸時代には双方からしばしば幕府への公訴が行われている。1868年(明治1)、三方の名称を廃して、学侶方は全山統轄の中心に復した。比叡山においても、平安末から鎌倉時代にかけて、学侶と堂衆の対立は激しくなり、強訴(ごうそ)などで朝廷を脅かした僧兵は、堂衆たちであった。比叡山では、『法華経(ほけきょう)』専攻の止観業(しかんごう)と、密教専攻の遮那業(しゃなごう)を学ぶものが学生であり、回峰行(かいほうぎょう)の行者とともに衆徒とよばれる。ついで堂衆、公人(くにん)があり、順に上方(じょうほう)、中方(ちゅうほう)、山徒ともいわれる。学生である衆徒は、山坊に起居し、妻帯せず、学問修行に専注する清僧であり、この学生たちにのみ、阿闍梨(あじゃり)、内供奉(ないぐぶ)、僧正(そうじょう)などの僧界の公職や、探題(たんだい)、大行満(だいぎょうまん)などの行位や、座主(ざす)への道が開かれていた。
[木内堯央]
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精選版 日本国語大辞典
がく‐りょ【学侶】
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