●宇多天皇【うだてんのう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
宇多天皇
うだてんのう
[没]承平1(931).7.19. 京都
第 59代の天皇 (在位 887~897) 。名は定省。光孝天皇第7皇子,母は尊称皇太后班子女王。仁和3 (887) 年8月皇太子になると同時に践祚,同年 11月即位。寛平9 (897) 年7月醍醐天皇に譲位,太上天皇と称せられ,昌泰2 (899) 年落飾,法皇となる。のち仁和寺に御堂を造営し,ここへ移ったので御室御所の称が起った。亭子院帝または寛平法皇などともいう。子の醍醐天皇に譲位の際与えた訓戒は『寛平御遺誡 (かんぴょうのごゆいかい) 』として有名。その日記『宇多天皇御記』は現在残闕を伝えるのみ。和歌の御製は『古今集』以下の勅撰集に収められたものが少くない。陵墓は京都市右京区鳴滝宇多野谷の大内山陵。
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デジタル大辞泉
うだ‐てんのう〔‐テンワウ〕【宇多天皇】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
宇多天皇 うだてんのう
貞観(じょうがん)9年5月5日生まれ。光孝天皇の第7皇子。母は班子(はんし)女王。父の死で即位。藤原基経(もとつね)を関白とする詔勅をめぐる政争(阿衡(あこう)の紛議)がおこる。基経の死後は菅原道真(みちざね)を重用し,親政をおこなう(寛平(かんぴょう)の治)。譲位後は仁和(にんな)寺にはいり,法皇をはじめて称した。承平(じょうへい)元年7月19日死去。65歳。墓所は大内山陵(おおうちやまのみささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は定省(さだみ)。別名に亭子院,寛平帝。法名は空理,金剛覚。歌集に「亭子院御集」。
【格言など】行きて見ぬ人の為にと思はずば誰か折らまし庭の白菊(「続古今和歌集」)
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世界大百科事典 第2版
うだてんのう【宇多天皇】
第59代に数えられる平安前期の天皇。在位887‐897年。亭子院帝,寛平法皇ともいう。時康親王(のち光孝天皇)と班子女王を父母として生まれた。陽成天皇廃立によって父が帝位につくと兄弟姉妹とともに臣籍に降って源定省(さだみ)と称し,官人として勤めていたが,父の強い希望によって,887年(仁和3)親王となり,帝位を継いだ。即位の直後,これまでの政治的実権を失うことを恐れた太政大臣藤原基経との間に,阿衡(あこう)事件と呼ばれる権力争いが起こり,これに敗れたため,891年(寛平3)の関白基経の死に至るまで,政権をゆだねざるをえなかった。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
宇多天皇
うだてんのう
(867―931)
第59代天皇(在位887~897)。光孝(こうこう)天皇第3皇子。母は式部卿(きょう)仲野親王女(むすめ)、班子女王(はんしにょおう)。諱(いみな)は定省(さだみ)。884年(元慶8)源氏を賜姓され臣下となっていたが、887年(仁和3)光孝天皇の病があつくなったとき、天皇の意をくんだ太政大臣(だいじょうだいじん)藤原基経(もとつね)の推挙を受け、皇太子となり、ついで践祚(せんそ)した。897年(寛平9)皇太子敦仁(あつひと)親王(醍醐(だいご)天皇)に譲位するまで在位10年。学者出身の菅原道真(すがわらのみちざね)を重用し、親政を行った。権門勢家の活動を抑制し、律令(りつりょう)の原則に立ち返った政策路線を採用、後世、寛平(かんぴょう)の治と称された。譲位後しばらくは道真追放をめぐり醍醐天皇と対立したが、その後協調的となり、上皇として政務に関与するところがあった。承平(じょうへい)元年7月19日、仁和寺(にんなじ)に崩ず。
[森田 悌]
『森田悌著『王朝政治』(1979・教育社)』
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367日誕生日大事典
宇多天皇 (うだてんのう)
平安時代前期の第59代の天皇
931年没
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精選版 日本国語大辞典
うだ‐てんのう ‥テンワウ【宇多天皇】
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旺文社日本史事典 三訂版
宇多天皇
うだてんのう
平安前期の天皇(在位887〜897)
光孝天皇第7皇子。887年即位後阿衡 (あこう) 事件をおこしたが,藤原基経死後は関白を置かず,菅原道真を登用し,藤原氏抑制政策を実行した。子の醍醐天皇に与えた『寛平御遺誡 (かんぴようのごゆいかい) 』,日記『宇多天皇宸記』は有名。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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