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安和の変【あんなのへん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

安和の変
あんなのへん
安和2 (969) 年,冷泉天皇宮廷に起きた政変。この結果,源高明が失脚して,藤原氏の独占的地位が確立した。当時,左大臣高明は,その女子が村上天皇に愛された皇子為平親王となっていたので,その将来をおそれた藤原氏が,高明らが為平親王を擁立して,皇太子守平親王 (円融天皇) の廃立をたくらんでいると密告して高明とその一門を中央政界から追放した。事件の結果,藤原氏を圧倒する氏族はなくなり,摂関政治の定着をみた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

あんな‐の‐へん〔アンワ‐〕【安和の変】
安和2年(969)藤原氏が企てた他氏排斥の謀略事件。右大臣藤原師尹(ふじわらのもろただ)らが、源満仲(みなもとのみつなか)の密告を利用して左大臣源高明(みなもとのたかあきら)らに皇太子廃立の陰謀があるとして追放、藤原政権確立をはかった。

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世界大百科事典 第2版

あんなのへん【安和の変】
平安中期の政変。969年(安和2)3月,源満仲らの密告により,橘繁延,僧蓮茂らが謀反の疑いで逮捕・尋問されたが,罪は醍醐天皇の子で,儀式に精通し,朝廷重きをなしていた左大臣源高明に及び,彼は大宰員外帥に左遷,繁延らは流罪,与党の源連は追捕され,また武士藤原千晴(秀郷の子)らも捕らえられて流された。一方,右大臣藤原師尹が左大臣,大納言藤原在衡が右大臣に昇任した。この事件の真相については諸説あるが,結局は藤原氏の陰謀と考えられる。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

あんなのへん【安和の変】
969年(安和2)藤原氏が、左大臣源高明・橘繁延らに皇太子廃立の企てありとして、左遷・流罪に処した政変。源満仲の密告に乗じた他氏排斥の謀略で、以後藤原氏の全盛期を迎える。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

安和の変
あんなのへん
969年(安和2)藤原氏が起こした他氏排斥の疑獄事件。右大臣藤原師尹(もろただ)が、左大臣源高明(たかあきら)(醍醐(だいご)天皇の皇子。賜姓源氏)を左遷し、その結果、自ら左大臣となる。事件の発端は同年3月、左馬助(さまのすけ)源満仲(みつなか)、前武蔵介(むさしのすけ)藤原善時(よしとき)らが、中務少輔(なかつかさのしょう)橘繁延(たちばなのしげのぶ)、源連(つらね)、前相模介(さがみのすけ)藤原千晴(ちはる)らを密告したことに始まる。朝廷は取調べの結果、源高明に関係深い事件とし高明を大宰権帥(だざいのごんのそつ)に貶(お)とし、繁延を土佐(高知県)、千晴を隠岐(おき)に配流した。これより先、源高明は藤原師輔(もろすけ)(師尹の兄)の娘を妻としており、妻の姉は村上天皇の中宮(ちゅうぐう)安子である。村上と安子の間には、憲平(のりひら)(冷泉(れいぜい)天皇)、為平(ためひら)、守平(もりひら)の3親王があり、村上天皇と安子は為平親王を憲平親王の即位後皇太子にしようと考えていた。しかるに、村上天皇退位のとき、藤原氏の実頼(さねより)、伊尹(これただ)、兼家(かねいえ)らは、為平親王が皇太子からいずれ即位して源氏の繁栄することを恐れ、為平親王が源高明の娘婿であることを理由にこれを排除、守平親王を皇太子とした。また、師輔の娘が高明の妻であることから、師輔の兄実頼、弟師尹は師輔に対しての反発も強く、師輔、安子の死により高明は支柱を失ったところ、高明が為平親王を擁立し東国に軍兵を起こし即位させようとしているなどのうわさがたち、源満仲は、初めは仲間であったのが心変わりして密告したという。朝廷内の騒動は、承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱のようであったと『日本紀略』に伝え、師尹が主謀者と『歴代編年集成』にある。高明は出家し、邸(やしき)は焼失した。源満仲の武士としての進出、藤原氏の他氏排斥最後の事件であると同時に、藤原氏同士、兄弟の争いの第一歩がこの事件である。[山中 裕]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

あんな【安和】 の 変(へん)
安和二年(九六九)、藤原氏が他氏排斥のために企てた疑獄事件。皇太子守平親王(のちの円融天皇)を廃位させ、為平親王を擁立する陰謀があるという源満仲らの密告により、橘繁延(しげのぶ)、藤原千晴(ちはる)が流罪に、親王の義父源高明(たかあきら)が大宰権帥(ごんそつ)に左遷された。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

安和の変
あんなのへん
969(安和2)年,平安中期の政変
冷泉天皇の皇太弟守平親王を廃し,兄為平親王(妃は源高明 (みなもとのたかあきら) の娘)を擁立しようとする陰謀ありとの源満仲の密告に端を発した事件。左大臣源高明も連坐して大宰府へ左遷された。右大臣藤原師尹 (もろただ) による高明追放の謀略とみられ,藤原氏の他氏排斥の最後の事件。以後摂政あるいは関白が常置され藤原氏全盛期を迎えた。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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