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安東氏【あんどううじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

安東氏
あんどううじ
陸奥国津軽地方豪族安倍貞任の子高星が津軽安東郡に住して安東氏を称したという。源頼朝は奥州平定後,安東氏を代官として津軽地方を管領させた。南北朝時代に盛季は津軽十三湊って下国家を称し,その弟鹿季は秋田土崎湊に拠って上国家 (湊家) を興し秋田城介を称した。盛季は嘉吉3 (1443) 年南部義政に追われて蝦夷地に逃れたが,政季のとき,出羽檜山を領した。檜山の下国家と秋田の上国家は対立したが,上国家の友季に男子がなく,下国家より政季の曾孫舜季を迎え,その子愛季のとき両家は合体した。その子実季は豊臣秀吉徳川家康に仕え,常陸宍戸城主となり,秋田氏を称した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

あんどううじ【安東氏】
中世北奥羽の豪族。鎌倉・南北朝期には安藤と記す。安倍貞任の子高星の後裔と伝える。鎌倉時代には北条氏の被官となり,津軽鼻和郡・西浜・糠部郡などの北条氏所領の代官(地頭代)を務めた。また,蝦夷管領の代官として〈蝦夷の沙汰〉を行った。同時期に西国方面で活躍した駿河国安東庄出身の北条氏被官安東氏と同族とする説もあるが疑わしい。鎌倉後期の1268年(文永5)ころから始まる蝦夷反乱に関連して,一族の内紛が起き,幕府軍の追討をうけたが,屈服するには至らなかった(いわゆる安東氏の乱)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

安東氏
あんどううじ

中世の陸奥(むつ)国津軽(つがる)地方の豪族。安藤氏とも書く。前九年の役で討たれた安倍貞任(あべのさだとう)の子高星(たかあき)の子孫と伝える。鎌倉時代には幕府の執権(しっけん)北条氏の代官として津軽の北条氏所領を支配し、また北海道から来航し、津軽にも住んでいた蝦夷(えぞ)(後のアイヌ人か)の統轄者であった。鎌倉末期にはその蝦夷の反乱に始まる安東氏の乱(1317?~1328)を起こしている。日本三津七湊(さんしんしちそう)の一つである十三湊(とさみなと)(青森県五所川原(ごしょがわら)市)を押さえていて、日本海海運に関係が深く、室町時代には「奥州十三湊日之本将軍」と称していた。1432年(永享4)ごろ南部(なんぶ)氏との戦いに敗れて、北海道に渡り、のち檜山(ひやま)(秋田県能代(のしろ)市)に移って、戦国大名秋田氏の祖になったという。

[大石直正]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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