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安田義定【やすだよしさだ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

安田義定
やすだよしさだ
[生]長承3(1134)
[没]建久5(1194).8.19. 甲斐
平安時代末期~鎌倉時代初期の武将。甲斐源氏の一党。以仁王 (もちひとおう) の令旨を奉じて平家追討の兵をあげ,富士川の戦い平維盛の軍を破り,源頼朝に従って軍を立て遠江国守護,遠江守に任じられたが,梶原景時讒言によって,頼朝にせられた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

安田義定 やすだ-よしさだ
1134-1194 平安後期-鎌倉時代の武将。
長承3年3月10日生まれ。武田(源)義清の子。治承(じしょう)4年源頼朝の挙兵甲斐(かい)(山梨県)で呼応富士川の戦いの功で遠江(とおとうみ)(静岡県)の守護となる。源義仲の追討,一ノ谷の戦いなどで活躍。建久4年子の義資(よしすけ)の罪で所領を収され,5年8月19日謀反の疑いで殺された。61歳。甲斐出身。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

やすだよしさだ【安田義定】
1134‐94(長承3‐建久5)
平安末期~鎌倉初期の武将。法名は法光。甲斐源氏武田義清の子。1180年(治承4)以仁王の令旨に応じて甲斐で挙兵し,駿河に進出。富士川の戦で平維盛を敗走させ,源頼朝から遠江の守護に補任される。83年(寿永2)上洛。平家を追討して遠江守になる。91年(建久2)大内守護を勤仕。しかし子の義資の縁座により所領を没収され,94年には頼朝に反逆を企て殺される。【松井 茂

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

安田義定
やすだよしさだ
(1134―1194)
平安末~鎌倉初期の武将。清和源氏の一流である甲斐源氏の一族。1180年(治承4)源頼朝に呼応して挙兵し、一族の武田信義らとともに駿河に進出。富士川の合戦で平氏を敗走させ、遠江守護となった。その後、源義仲追討、一ノ谷の戦い、奥州合戦に従軍するなど、頼朝軍の有力武将の一人として活躍した。しかし1193年(建久4)子息義資(よしすけ)の艶書事件(義資が鎌倉永福寺(ようふくじ)薬師堂供養の際、参列していた女性に艶書を送ったことを梶原景時(かじわらかげとき)に讒言され梟首された)に縁座して所領を没収され、さらに翌年反逆を企てたとして討伐された。[山本博也]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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367日誕生日大事典

安田義定 (やすだよしさだ)
生年月日:1134年3月10日
平安時代後期の武将
1194年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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