@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

安藤信正【あんどうのぶまさ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

安藤信正
あんどうのぶまさ
[生]文政2(1819).11.25. 江戸
[没]明治4(1871).10. 東京
幕末の老中。平藩5万石の領主。対馬守。寺社奉行を経て万延1 (1860) 年正月,老中となる。大老井伊直弼の死後,老中久世 (くぜ) 広周とともに内外の難局処理にあたる。特に開市開港問題では,その困難なことを列国側に説得して延期に成功し,また万難を排して遣外使節の派遣を決定した。また国内政局の安定をはかるため,皇女和宮降嫁を促進しようとして攘夷派の非難を受け,文久2 (62) 年1月,坂下門で水戸浪士に襲撃され,負傷して老中を辞職 (→坂下門外の変 ) 。2万石減封のうえ永蟄居。戊辰戦争に際しては官軍に抵抗,謹慎処分を受けた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

あんどう‐のぶまさ【安藤信正】
[1820~1871]幕末老中磐城(いわき)国平(たいら)藩主公武合体を図り、皇女和宮(かずのみや)降嫁を実現。文久2年(1862)江戸城坂下門外で尊王攘夷(そんのうじょうい)派の水戸浪士に襲われて負傷し、老中を辞職

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

安藤信正 あんどう-のぶまさ
1820*-1871 江戸時代後期の大名。
文政2年11月25日生まれ。安藤信由(のぶより)の長男。弘化(こうか)4年父のをつぎ,陸奥(むつ)平藩(福島県)藩主安藤家5代となる。安政7年老中となり,井伊直弼(いい-なおすけ)の死後は老中筆頭として,久世広周(くぜ-ひろちか)と和宮降嫁による公武合体策をすすめる。文久2年坂下門外ので負傷,老中を罷免された。明治4年10月8日死去。53歳。初名は信睦(のぶゆき),信行。号は鶴翁。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

江戸・東京人物辞典

安藤信正
1819〜1871(文政2〜明治4)【老中】井伊直弼暗殺の後、困難な幕政・外交問題を支えた。 幕末の老中。磐城平藩主。対馬守。1860年桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると、老中として幕政を主導。公武合体を押し進め、和宮降嫁を実現した。さらに日普修好通商条約締結や米公使館のヒュースケン通訳暗殺問題の賠償金問題決着など、外交面でもすぐれた手腕を示した。1862年、攘夷派の水戸藩士に坂下門外で襲撃されて負傷し、老中を辞職。戊辰戦争で新政府軍に抗戦して敗北、処罰を受けた。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
(C) 財団法人まちみらい千代田
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

あんどうのぶまさ【安藤信正】
1819‐71(文政2‐明治4)
幕末期の老中。磐城平藩主。諱(いみな)は信睦,信行,のち信正。1847年(弘化4)藩主となる。51年(嘉永4)寺社奉行となり,若年寄を経て60年(万延1)老中となった。大老井伊直弼の死後,久世広周(ひろちか)と共に幕府政治を動かし,幕府と朝廷や尊王攘夷派との対立を緩和するための諸政策をとった。まず60年9月,安政の大獄で処罰された徳川慶勝,一橋慶喜,松平慶永,山内豊信の謹慎を解いた。ついで10月,孝明天皇の妹である和宮の降嫁の勅許を得ることに成功し,将軍徳川家茂と和宮の婚儀は,62年(文久2)2月におこなわれた。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

あんどうのぶまさ【安藤信正】
1819~1871 幕末の政治家。磐城いわき平藩主。老中。大老井伊直弼の死後、公武合体策を推進、和宮の降嫁を実現。1862年、坂下門外の変で負傷、辞職。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

安藤信正
あんどうのぶまさ
(1819―1871)
幕末期の老中。陸奥(むつ)国磐城平(いわきたいら)(福島県)藩主。文政(ぶんせい)2年11月25日生まれ。名は初め信睦(のぶゆき)、ついで信行、信正と改める。対馬守(つしまのかみ)。1860年(万延1)正月、若年寄から老中に昇任、外国事務取扱となる。大老井伊直弼(なおすけ)のもとで、一橋(ひとつばし)派を押さえ、同年3月、井伊直弼の横死後、再任された久世広周(くぜひろちか)とともに、幕閣の中心となった。アメリカの通訳ヒュースケン暗殺事件、水戸浪士による東禅寺(とうぜんじ)イギリス公使館襲撃事件、ロシア船ポサドニック号の対馬滞泊事件など、次々に起こった外交の難事を処理、ロシアとの国境画定交渉も開始した。内政問題では、井伊の遺志を継いで公武合体を進め、孝明(こうめい)天皇の妹和宮親子(かずのみやちかこ)内親王を将軍家茂(いえもち)夫人として降嫁させ、1862年(文久2)2月の婚儀にこぎつけた。しかし、彼の開国策と、公武合体による幕府権力回復策は、尊攘(そんじょう)激派の反発を受け、婚儀直前の1月15日、水戸浪士らによって坂下門外に襲撃され負傷、4月に老中を辞任して退隠。1868年(明治1)7月、戊辰(ぼしん)戦争で平(たいら)城は新政府軍の攻撃を受けた。明治4年10月8日没。[河内八郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

367日誕生日大事典

安藤信正 (あんどうのぶまさ)
生年月日:1819年11月25日
江戸時代末期;明治時代の大名
1871年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

あんどう‐のぶまさ【安藤信正】
幕末の老中。磐城平藩主。大老井伊直弼(なおすけ)の暗殺後、公武合体を進め、和宮(かずのみや)の降嫁を実現した。文久二年(一八六二)江戸城坂下門外で尊王攘夷派の浪士に襲われ、負傷。文政二~明治四年(一八一九‐七一

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

安藤信正
あんどうのぶまさ
1819〜71
幕末の政治家
磐城(福島県)平藩主。寺社奉行・若年寄を経て1860年老中となる。桜田門外の変後,幕閣の中心に立って公武合体策を推進し,孝明天皇の皇妹和宮 (かずのみや) の将軍徳川家茂への降嫁を実現。このため,'62年江戸城坂下門前で尊攘派に襲われ負傷し,罷免。戊辰 (ぼしん) 戦争では奥羽諸藩と連合して官軍に反抗,処罰された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

安藤信正」の用語解説はコトバンクが提供しています。

安藤信正の関連情報

関連キーワード

橋本宗吉おらが春シンガポール(国)ベートーベンアンベールブリジェンス石田春律各務文献振鷺亭林国雄

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation