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宋紫石【そう しせき】

美術人名辞典

宋紫石
江戸中・後期画家。江戸生。紫山の父。は楠本、字は君赫、通称は幸八郎、号を雪渓・雪湖・宋岳。幼時から画を好み、長崎熊代熊斐・清人宋紫岩画法を学び、江戸に帰り宋紫石と名のる。山水・花卉に優れる。江戸に沈南蘋派の写生的花鳥画を広めた。天明6年(1786)歿、75才。

出典:(株)思文閣

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

宋紫石 そう-しせき
1715-1786 江戸時代中期の画家。
正徳(しょうとく)5年生まれ。長崎で熊代熊斐(くましろ-ゆうひ),宋紫岩(しがん)にまなび,師の姓を名のる。沈南蘋(しん-なんぴん)風の写生的な花鳥画を江戸にひろめた。平賀源内著「物類品隲(ひんしつ)」の挿絵をえがく。天明6年3月11日死去。72歳。江戸出身。本姓は楠本(くすもと)。字(あざな)は君赫。通称は幸八郎。別号に雪渓,雪湖,霞亭。編著に「古今画藪(がそう)」,作品に「雨中軍鶏図」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

そうしせき【宋紫石】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

宋紫石
そうしせき
[生]正徳5(1715).江戸
[没]安永9(1780).5.20. /天明6(1786).3.11. 江戸
江戸時代中期の長崎派画家。本姓は楠本,通称は幸八郎。字は君赫または霞亭,号は雪渓のちに雪湖。長崎へ出て熊斐 (ゆうひ) に沈南蘋 (しんなんぴん) の写生的花鳥画を学び,さらに来日した清の画家宋紫岩に師事し,宋紫石の漢名を用いて江戸で南蘋風の写生画を盛んにした。また平賀源内の『物類品隲 (ひんしつ) 』 (1763) に挿絵を描いたり,自著『古今画藪 (がそう) 』 (70) にヨンストン著『動物図譜』 (1660) からの写しを十数図描くなどした。主要作品『芭蕉小禽図』 (1765,浅草徳本寺) ,『獅子図』,著書『宋紫石画譜』など。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

宋紫石
そうしせき
(1715―1786)

江戸中期の画家。本名は楠本幸八郎。字(あざな)は君赫(くんかく)また霞亭。号は雪渓のち雪湖。江戸の人。長崎に遊学し、熊斐(ゆうひ)から清(しん)人沈南蘋(しんなんぴん)譲りの写生的な花鳥画風を学ぶ。さらに来日中の清人宋紫岩(しがん)にも師事し、中国風に宋紫石と改名した。江戸の地に当代中国画の新風、とりわけ南蘋風を伝えた功績が大きく、また西洋画にも関心を示した。平賀源内と交友があり、博物の書『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(1763)に挿絵を提供した。代表作に『雨中鶏図』(1771・東京国立博物館)があり、著書に『古今画藪(がそう)』(1770)などがある。司馬江漢(こうかん)、酒井抱一(ほういつ)らに教え、子の宋紫山(しざん)、孫の宋紫岡(しこう)が画業を継いだ。墓は徳本寺(東京都台東(たいとう)区)にある。

[小林 忠]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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