●宗氏【そううじ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
宗氏
そううじ
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世界大百科事典 第2版
そううじ【宗氏】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
宗氏
そううじ
鎌倉時代から明治維新期まで対馬(つしま)島を支配した北九州の豪族、大名。出自については平知盛(たいらのとももり)後胤(こういん)説、対馬との関係については宗重尚(しげひさ)の阿比留(あびる)氏討伐説が流布していたが、現在は、出自は大宰府官人(だざいふのかんにん)惟宗(これむね)氏、対馬との関係では1274年(文永11)の元寇(げんこう)で戦死した資国(すけくに)(助国とも)が最古、確実とされている。資国は対馬国地頭代(じとうだい)。鎌倉末から南北朝にかけては守護大宰少弐(だざいのしょうに)氏のもとで対馬の支配にあたり、その後守護となる。15世紀初頭に北九州から対馬に本拠を移し、ほどなく島内支配と朝鮮関係の掌握を確実なものとした。16世紀の後半には朝鮮貿易をほぼ独占。1587年(天正15)豊臣秀吉(とよとみひでよし)の九州平定に応じて服属。1591年朝鮮通信使の来日実現の功により、従四位下(じゅしいげ)侍従(じじゅう)、対馬守(つしまのかみ)に補任(ぶにん)。この官位は近世の例となった。近世では対馬藩主として義智(よしとし)から義達(よしあきら)(重正)まで16代続いた。1869年(明治2)版籍奉還後、厳原(いづはら)藩(対馬藩)知事、1871年廃藩置県により解任。のち伯爵。
[荒野泰典]
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旺文社日本史事典 三訂版
宗氏
そうし
対馬守護少弐氏の守護代となり,文永の役で助国・盛明父子が戦死。南北朝時代以来,日朝貿易に活躍。室町時代,筑前守護代として応永の外寇を退け,三浦 (さんぽ) の乱に際し救援軍を派遣,豊臣秀吉の文禄・慶長の役には先鋒となって活躍した。江戸時代には朝鮮信使の接待役として10万石格の待遇をうけ,毎年定期的に朝鮮の釜山浦で貿易を行った。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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