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宝生流【ほうしょうりゅう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

宝生流
ほうしょうりゅう
能の流派の名。 (1) シテ方の一つ。観世流とともに上掛りといわれる。大和猿楽四座の一つで,初め外山座 (とびざ) といい,江戸時代は宝生座といった。世阿弥の弟蓮阿弥を流祖と称するが未詳代々室町幕府に仕えていたが,4世一閑のとき,小田原の北条氏を頼り,その滅亡後は奈良に戻った。6世勝吉は豊臣秀吉に召し出され,続いて徳川家康にかかえられ,以後代々江戸幕府に仕えた。9世友春は加賀藩主前田綱紀の知遇を得て,加賀宝生の名を残した。 14世英勝は一橋治済,徳川家斉の庇護により流儀が栄え,15世弥五郎友干 (ともゆき) は弘化5 (1848) 年に 15日間の勧進能を催した。 16世宝生九郎知栄の代に明治維新となり,楽の危機を迎えたが,これを乗切り,常に能楽界の指導的役割を果した。 17世九郎重英,18世英雄 (ふさお) 。現宗家は 18世の長男 19世英照 (ふさてる,1958~ ) 。東京に水道橋能楽堂をもち,宝生会,五雲会を催す。 (2) ワキ方の一流派。下掛り宝生流,ワキ宝生ともいう。下掛りの金春流に属したワキの春藤流から分れた。宝生座に属した春藤権七を流祖とし,ワキ方の流儀のうち最も新しい。明治の宝生新朔,金五郎兄弟が著名で,金五郎の子の宝生新は第1回帝国芸術院会員となった名人。現宗家は新の子の哲 (1922~ ) で 11世。

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デジタル大辞泉

ほうしょう‐りゅう〔ホウシヤウリウ〕【宝生流】
能のシテ方の流派の一。大和猿楽外山座(とびざ)の流れで、幕末までは宝生座といった。流祖は宝生蓮阿弥といわれるが未詳。
能のワキ方の流派の一。徳川家光の命で、春藤(しゅんどう)流の金春権七祐玄が宝生座付きとなって創流。2世新之丞のとき宝生を名のった。ワキ宝生。下掛(しもがかり)宝生流。
能の大鼓方の流派の一。宝生練三郎派ともいわれ、岡山を中心に活動していたが、昭和61年(1986)観世流となった。

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世界大百科事典 第2版

ほうしょうりゅう【宝生流】
(1)能のシテ方の流派名。源流は南北朝期,大和の外山(とび)(奈良県桜井市)を本拠に多武峰(とうのみね)寺ついで春日・興福寺に所属した大和猿楽外山座で,宝生座ともいった。宗家の系図では,観世座初代の観阿弥の子という蓮阿弥重英(?‐1468)を流祖とするが史実と合わない。しかし,《申楽談儀(さるがくだんぎ)》によると,観阿弥の長兄の宝生大夫が外山座を継いでおり,観世の創座以前から活動していた古い座であることは確かである。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ほうしょうりゅう【宝生流】
能のシテ方五流の一。大和猿楽の外山座とびざの流れをくむ。観阿弥の子蓮阿弥を流祖と称するが疑問。
能のワキ方の流派の一。江戸初期、金春座のワキ方春藤権七が宝生にはいったのがはじまり。下掛しもがかり宝生流・脇宝生わきぼうしようとも。
能の大鼓方の流派の一。流祖は宝生弥三郎信方。宝生錬三郎派とも。近年、観世流に復帰。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

宝生流
ほうしょうりゅう
(1)能の一流派。シテ方五流の一つ。南北朝時代の外山座(とびざ)を源流とし、観世(かんぜ)座よりも早く成立していたが、流祖などは未詳の部分が多い。小田原の北条氏に仕えた4世一閑は鼻高宝生とよばれ、観世家から養子に入った5世宝山は小宝生(こほうしょう)とよばれた名人。なお観世家とは室町時代から姻戚(いんせき)関係があり、芸系も似通い、金春(こんぱる)、金剛、喜多(きた)三流の下掛(しもがか)りに対し、上掛(かみがか)りとよぶ。
 江戸時代は、観世座、金春座に次ぐ地位にあり、5代将軍綱吉のとき以来勢力を伸ばし、11代将軍家斉(いえなり)は宝生流を学んだため、流勢とみに拡大した。幕府の公許を得た1848年(嘉永1)の神田における勧進能(かんじんのう)は、江戸時代最後のものとなった。また加賀(石川県)の前田家は宝生流を庇護(ひご)し、今日も金沢に加賀宝生の地盤を伝えている。16世宝生九郎は、明治三名人の一人として時代に君臨し、華族や高官の間に多くの後援者を獲得した。厳しい稽古(けいこ)で、松本長(ながし)、野口兼資(かねすけ)、近藤乾三(けんぞう)、高橋進、田中幾之助(いくのすけ)らの名人たちを育てた。家元の統制力のもっとも強い流儀だが、個性的な名手が多く、堅実な芸風を誇り、謡に特徴をもち、観世流に次ぐ大勢力である。第二次世界大戦後も真っ先に舞台を再興させ、東京・水道橋の宝生能楽堂を根拠地に、金沢ほか全国に流勢が及ぶ。金沢の分家から入った17世九郎(重英(しげふさ))以後、宝生英雄(ふさお)(1920―1995)が18世、宝生英照(ふさてる)(1958―2010)が19世、宝生和英(かずふさ)(1986― )が20世として宗家を継承している。
(2)能のワキ方の一流派。シテ方と区別して、また金春流座付(ざつき)の春藤流(しゅんどうりゅう)の芸系に属するので下掛(しもがか)り宝生流とよばれる。下宝生、脇(わき)宝生とも。ワキ方としての独自性を保ち、とくにコトバ(会話部分)の扱いに特徴がある。1692年(元禄5)没の春藤権七(ごんしち)を流祖とし、ワキ方の流儀としてはもっとも新しいが、代々名人を輩出し、10世宗家宝生新(しん)は第1回の帝国芸術院会員に選ばれ、その高弟の松本謙三(けんぞう)、宝生弥一(やいち)、森茂好(しげよし)が活躍した。宝生閑(かん)、鏑木岑男(かぶらぎみねお)、野口敦弘(あつひろ)、森常好(もりつねよし)らが能楽界の水準を支えている。現宗家は11世宝生彰彦(あきひこ)(1922― )。
(3)能の大鼓の一派。正式に一流派とは認められておらず宝生錬三郎派とよばれていたが、1986年(昭和61)、名称を観世流と改めた。[増田正造]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ほうしょう‐りゅう ホウシャウリウ【宝生流】
〘名〙
① 能楽シテ方の流派の一つ。大和猿楽の外山座(とびざ)から出る。流祖は宝生蓮阿彌といわれる。代々、室町幕府・豊臣秀吉・江戸幕府に仕える。弘化五年(一八四八)一五代彌五郎友于(ともゆき)は、江戸時代最大最後の「弘化の勧進能」を興行。一六代九郎知栄(ともはる)は明治能楽界の三名人の一人。近世末までは宝生座という。
② 能楽ワキ方の流派の一つ。徳川家光の命により宝生座付きとなった、ワキ方春藤流の金春権七祐玄を流祖とし、二代新之丞の時宝生を名乗る。八代新朔英才、九代金五郎英周、一〇代新と幕末から明治大正にかけて名人が続いた。ワキ宝生。下掛(しもがかり)宝生流とも。
③ 能楽囃子方大鼓の一流派。宝生錬三郎派ともいわれる。

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