●室生犀星【むろう さいせい】
美術人名辞典
室生犀星
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デジタル大辞泉
むろう‐さいせい〔むろふ‐〕【室生犀星】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
室生犀星 むろう-さいせい
明治22年8月1日生まれ。逆境の幼少期をへて詩人をこころざす。大正2年北原白秋の主宰誌に「小景異情」を投稿し,生涯の友萩原朔太郎と知りあった。7年「抒情小曲集」を刊行。30歳代から小説に転じ,「あにいもうと」,「杏(あんず)つ子」(昭和33年読売文学賞),「かげろふの日記遺文」(34年野間文芸賞)などの代表作がある。芸術院会員。昭和37年3月26日死去。72歳。石川県出身。本名は照道。作品はほかに「我が愛する詩人の伝記」など。
【格言など】私をすくうてくれた女の人は,悉(ことごと)くはたらく場所にいた人達である(「顔というもの」)
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世界大百科事典 第2版
むろうさいせい【室生犀星】
詩人,小説家。金沢市生れ。本名照道。生後まもなく貰い子に出され,高等小学校を中退して金沢地方裁判所に給仕として勤めるうちに,上司らに俳句を指導され,やがて詩人を志す。退職して上京・帰郷を繰り返すが《青き魚を釣る人》(1912)あたりから初期抒情詩の花が開く。〈ふるさとは遠きにありて思ふもの〉の詩句で知られる《小景異情》(1913)などが続々発表され,のちに《抒情小曲集》(1918)にまとめられた。この間,同じく無名であった萩原朔太郎と親交を結び,詩誌《感情》(1916‐19)を刊行するなど,互いに影響を受けあいながら,近代詩の完成に大きな役割を果たした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
室生犀星
むろうさいせい
[没]1962.3.26. 東京
詩人,小説家。本名,照道。寺の養子として育ち,小学校高等科中退。北原白秋に師事し,同門の萩原朔太郎と親交を深めた。詩誌『卓上噴水』 (1915) を経て『感情』 (16) を共同主宰して感情詩派を形成,『愛の詩集』 (18) ,『抒情小曲集』 (18) ,『第二愛の詩集』 (19) を発表して朔太郎と並ぶ大正詩壇の新しいにない手となった。さらに小説にも手を染め,『幼年時代』 (19) ,『性に眼覚める頃』 (19) で幼少年期の体験を抒情と感性の世界に対象化した。その後『あにいもうと』をはじめ『女の図』 (35) ,『復讐』 (35) など市井の男女の赤裸々な生態を感性的に描き,第2次世界大戦後も『杏っ子』 (56~57) ,『蜜のあはれ』 (59) ,『かげろふの日記遺文』 (58~59) などの佳作を残した。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
室生犀星
むろうさいせい
(1889―1962)
詩人、小説家。本名照道。明治22年8月1日、金沢市裏千日町に、旧加賀藩士小畠弥左衛門吉種と女中ハルの間に生まれる。生後まもなく赤井ハツにもらわれ、その私生児として届けられた。ハツは雨宝院の住職室生真乗の内縁の妻で、犀星は7歳のとき真乗の養嗣子(しし)となり、室生姓を名のる。9歳で実父が死ぬとともに実母は行方不明となる。12歳のとき、母の命により、金沢高等小学校3年で中退、裁判所の給仕となる。上司に交わって俳句を詠み、さらに詩を『新声』に投稿する。金石(かないわ)登記所に配転されたのち、20歳の秋、詩人を志して職を辞す。この間のことはのちに『幼年時代』『性に眼(め)覚める頃(ころ)』(ともに1919)に書かれる。地方新聞の記者として転々したのち上京するが、生活できずに帰郷すること2回。1912年(大正1)秋から詩が認められ、翌年は北原白秋主宰の『朱欒(ザムボア)』に1月から5月廃刊まで毎号掲載される。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と歌う「小景異情」は5月に発表され、初期叙情詩を代表するものである。このとき萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)から手紙をもらい、以後親交を結ぶ。これらの詩はのちに『抒情(じょじょう)小曲集』(1918)に収められた。16年朔太郎および山村暮鳥(ぼちょう)とともに詩誌『感情』を創刊する。白秋は、「自然の儘(まま)で、稚(おさな)い、それでも銀の柔毛(にこげ)を持つた栗(くり)の若葉のやうに単純な、感傷家(センチメンタリスト)」とたたえた。『愛の詩集』(1918)では、求道的な口語詩もみられる。『幼年時代』以後、小説家としても認められ、ことに『あにいもうと』(1934)以後は市井鬼ものとよばれる作品を書き、巷(ちまた)に真剣に生きる野性的な人間の生命を描き出した。太平洋戦争中は『泥雀の歌』(1942)などの自伝的作品や、『つくしこひしの歌』(1939)などの王朝ものを書いていた。戦後、随筆『女ひと』(1955)が好評を博してふたたび活発な活動に入る。自分と娘を描いた『杏(あんず)っ子』(1957)では読売文学賞を受賞。王朝ものの『かげろふの日記遺文』(1958)では野間文芸賞を受賞した。この間、詩もつくり続け、詩集も『忘春詩集』(1922)、『鶴(つる)』(1928)、『鉄(くろがね)集』(1932)、『美以久佐(みいくさ)』(1942)など数多い。不幸な生い立ちのなかに生きる道を求めるところから出発して、ことに晩年は、女性を見つめて深い人生をみいだしている。昭和37年3月26日死去。墓地は金沢市野田山にあり、石川近代文学館は犀星の生涯をしのぶ展示をしている。
[鳥居邦朗]
『『室生犀星全集』12巻・別巻2(1964~65・新潮社)』▽『『室生犀星全詩集』全3巻(1978・冬樹社)』▽『中野重治著『室生犀星』(1968・筑摩書房)』
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精選版 日本国語大辞典
むろう‐さいせい【室生犀星】
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旺文社日本史事典 三訂版
室生犀星
むろうさいせい
大正・昭和期の詩人・小説家
本名は照道。石川県の生まれ。『愛の詩集』『抒情小曲集』で詩人としての地歩を固め,のち『性に目覚める頃』で小説家としても活躍した。庶民の感情・生活などを独特の筆致でリアルに描いた。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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