●宥和政策【ユウワセイサク】
デジタル大辞泉
ゆうわ‐せいさく〔イウワ‐〕【×宥和政策】
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世界大百科事典 第2版
ゆうわせいさく【宥和政策 appeasement policy】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
宥和政策
ゆうわせいさく
Appeasement Policy
一般的には、自己の要求と矛盾する要求を抱く相手方との間で妥協点をみいだし、摩擦を回避していく政策をさすが、とくに1930年代に、いわゆる「持たざる国」のドイツ、イタリア、日本の侵略的対外膨張を、「持てる国」のイギリス、フランス、アメリカ合衆国が許容し、結果的に第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)を招いた政策をさすことが多い。1931年に開始された満州事変に際して、イギリスなどは、国際連盟で対日制裁を求める国々を抑えて日本への妥協的姿勢を取り続けたし、35年のイタリアによるエチオピア侵略にあたっても、侵略を容認する「ホーア‐ラバル案」が英仏の首脳の間で作成された。宥和政策が頂点に達したのは、ドイツによるチェコスロバキアのズデーテン地方併合を英仏が認めた38年9月のミュンヘン会談である。宥和政策には、このように侵略による領土拡大を容認する「政治的宥和」のほか、「持たざる国」の経済的不満を解消しようとする「経済的宥和」、植民地を取引材料に用いる「植民地宥和」が存在した。イギリスのN・チェンバレンなど宥和政策を積極的に推進した人々は、これらの方策によって、相手国内の穏健派が力を増し、対外侵略の勢いが弱まることを期待したが、実際にはこの政策によって日独伊の侵略衝動はいっそう刺激されることになった。
[木畑洋一]
『斉藤孝著『第二次世界大戦前史研究』(1965・東京大学出版会)』
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精選版 日本国語大辞典
ゆうわ‐せいさく イウワ‥【宥和政策】
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旺文社世界史事典 三訂版
宥和政策
ゆうわせいさく
appeasement policy
歴史上では,第二次世界大戦前にイギリス・フランスがナチス−ドイツに対してとった政策,特にミュンヘン会談におけるN.チェンバレンの妥協が有名。この宥和政策は,反ソ反共的性格を背景にもっており,結果としてナチスの侵略拡大を認めることとなった。また,第二次世界大戦後のアメリカでは,ソ連に対する妥協政策を非難する際に用いられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
宥和政策
ゆうわせいさく
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