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宮部鼎蔵【みやべていぞう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

宮部鼎蔵
みやべていぞう
[生]文政3(1820).肥後
[没]元治1(1864).6.5. 京都
幕末の尊攘派志士。医家に生れたが,兵法を好み,熊本藩に出仕。嘉永年間 (1848~54) 江戸に上り,吉田松陰らと交遊。ペリー来航に際しては藩に時事建策を行なった。尊王攘夷派志士の間に重きをなし,文久2 (62) 年藩庁に建言して藩兵を上洛させ,次いで翌3年攘夷親征の議がすむとみずから御親兵総監となり,文久三年八月十八日の政変では失脚して七卿とともに三田尻に退いた (→七卿落 ) 。まもなく真木和泉らと忠勇隊を組織して上洛朝廷直訴を企てたが,三条の池田屋に投宿謀中,会津兵,新撰組に襲撃され自刃した (→池田屋事件 ) 。弟春蔵 (39~64) も志士として国事に奔走し,真木和泉らと天王山に自刃。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

みやべ‐ていぞう〔‐テイザウ〕【宮部鼎蔵】
[1820~1864]幕末尊攘派志士。肥後の人。吉田松陰の東北遊行に同行。京都にて討幕運動に活躍するが、池田屋で新撰組に襲われて自刃。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

宮部鼎蔵 みやべ-ていぞう
1820-1864 幕末の武士。
文政3年4月生まれ。肥後熊本藩の兵学師範。江戸で吉田松陰とまじわり,東北周遊に同行した。肥後勤王党の中心人物で,文久2年(1862)から京都で活動し,翌年八月十八日の政変で長州へ退去。ふたたび京都に潜入したが,元治(げんじ)元年6月5日池田屋で新選組におそわれ自刃(じじん)。45歳。名は増実。号は田城。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

みやべていぞう【宮部鼎蔵】
1820‐64(文政3‐元治1)
幕末の尊攘の志士。増実と名のり,田城と号する。肥後国益城郡田城村の医家に生まれたが医業を継がず,伯父増美に山鹿流の兵学を学ぶ。のち藩に召されたが,交流を得た吉田松陰と江戸に留学し,東北を巡遊する。松陰に〈毅然たる武士なり。僕常に以て及ばず〉と評された人物であった。ペリー来航に際し時務策を呈したが,顧みられること少なかったため絶望し,世人との交りを絶つ。しかし1862年(文久2)に上京して尊攘運動に参加し,ついで肥後藩兵の上京に従う。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

みやべていぞう【宮部鼎蔵】
1820~1864 幕末の志士。肥後の医家の生まれ。横井小楠とともに熊本藩の志士の領袖りようしゆう。吉田松陰と東北を巡遊、のち上京して尊攘運動に参加。八月一八日の政変後、長州藩のために画策するが、池田屋で新選組に襲われ自刃した。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

宮部鼎蔵
みやべていぞう
(1820―1864)
幕末期の攘夷(じょうい)運動家。諱(いみな)は増実。号は田城(でんじょう)、尖庵(せんあん)。肥後国益城(ましき)郡西上野村の医師宮部春吾素直の第二子。叔父増美について山鹿流兵学を学び、その家を継いで藩の軍学師範となる。1851年(嘉永4)江戸に出て、吉田松陰(しょういん)と知り合う。海防に関する意見書を藩に提出するが、いれられず帰国。1862年(文久2)上京して薩摩藩の有馬(ありま)新七らと交わり、熊本藩攘夷派の総帥と目される。1863年朝廷に親兵が創設されると、熊本藩の有志50名余を率いてこれに加わる。八月十八日の政変後、長州に逃走。1864年(元治元)上京して長州藩の勢力挽回を図る活動に従事するが、6月5日池田屋事件で死亡。1891年(明治24)正四位(しょうしい)を追贈。[青山忠正]
『武藤厳男編『肥後先哲偉蹟 後篇』(1928・肥後先哲偉蹟後篇刊行会) ▽田尻佐編「贈位諸賢伝」(芳賀登ほか編『日本人物情報大系42』所収・2000・皓星社)』

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