●寂照【じゃくしょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
寂照
じゃくしょう
[没]長元7(1034).杭州
平安時代中期の天台宗の僧侶。俗名大江定基。三河守在任中,妻を失い出家。寂真,源信,仁海らに学ぶ。長保5 (1003) 年入宋。宋の真宗より紫衣を賜わり,円通大師の号を受けた。在宋 31年に及び,中国杭州に寂した。
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デジタル大辞泉
じゃくしょう〔ジヤクセウ〕【寂照】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
寂照 じゃくしょう
大江斉光(ただみつ)の3男。天台宗。官途につくが,寂心(慶滋保胤(よししげの-やすたね))にしたがって出家。比叡(ひえい)山の源信に天台を,醍醐(だいご)寺の仁海(にんがい)に密教をまなぶ。長保5年(1003)源信の天台宗疑問27条をたずさえて宋(そう)(中国)にわたる。真宗皇帝から紫衣(しえ)と円通大師の号をおくられた。詩文にすぐれ,藤原道長らと書状をかわした。長元7年杭州(こうしゅう)で客死。俗名は大江定基。法名は寂昭ともかく。通称は三河入道。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
寂照
じゃくしょう
(962―1034)
平安中期の天台宗の僧。寂昭とも書く。俗姓は大江定基(おおえのさだもと)。参議大江斉光(なりみつ)(934―987)の第3子で、文章博士(もんじょうはかせ)となり、三河守(みかわのかみ)となったが、妻の死にあって無常を観じ、988年(永延2)出家し、寂心(じゃくしん)(慶滋保胤(よししげのやすたね))に師事した。また源信(げんしん)に天台を、仁海(にんがい)に密教を学んだ。1003年(長保5)五台山巡礼のために入宋(にっそう)し、源信から託された天台宗疑問二十七条を携えて、中国天台の四明知礼(しめいちれい)(960―1028)をたずね、答えを得て帰国しようとしたが、中国の宰相にとどめられ、呉門寺(ごもんじ)に住した。以後、在宋30年に及び、真宗(しんそう)皇帝から紫衣(しえ)を賜り、円通(えんづう)大師の号を贈られた。長元(ちょうげん)7年、杭州(こうしゅう)(浙江(せっこう)省)の清涼山に没した。詩文に優れ、『後拾遺(ごしゅうい)和歌集』『新古今和歌集』などに、その詩歌が収録されている。
[池田魯參 2017年8月21日]
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精選版 日本国語大辞典
じゃく‐しょう ‥セウ【寂照】
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じゃくしょう ジャクセウ【寂照】
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