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富永仲基【とみながなかもと】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

富永仲基
とみながなかもと
[生]正徳5(1715).大坂
[没]延享3(1746).8.28. 大坂
江戸時代中期の思想家。父は懐徳堂創立者の一人,道明寺屋吉左衛門。幼名は幾三郎,三郎兵衛,のち徳基,さらに仲基。字は仲子,子仲。号は南関,藍関,謙斎。 10歳のとき懐徳堂に入り,三宅石庵から陽明学を学んだ。 15歳頃『説蔽』を著わして儒学を批判し,石庵に破門されたという。その後田中桐江について詩文を学び,また家を出て黄檗版大蔵経の校合に従った。元文3 (1738) 年中国思想を研究した『翁の文』 (46) を著わした。また延享1 (44) 年仏典の比較研究を行なった『出定後語』 (2巻,45) をわし,仏教界から激しい攻撃を受けたが,他方では猪飼敬所,本居宣長,平田篤胤らから推称された。ほかに『律略』『諸子解』『日本春秋』『長語』『短語』『尚書考』『大学考』『論語考』の著がある。

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デジタル大辞泉

とみなが‐なかもと【富永仲基】
[1715~1746]江戸中期の学者。大坂の人。字(あざな)は子仲。号、南関・謙斎。儒学・仏教・神道精通。これらに歴史的・実証的批判を加えた。著「出定後語(しゅつじょうこうご)」「翁の文」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

富永仲基 とみなが-なかもと
1715-1746 江戸時代中期の思想家。
正徳(しょうとく)5年生まれ。富永芳春の子。家は大坂の醤油(しょうゆ)醸造業者。父の創設した懐徳堂で三宅石庵(せきあん)に儒学をまなび,のち仏教や神道もおさめる。「出定後語(しゅつじょうごご)」「翁の文」などの著作で,神・儒・仏三教の成立過程での後代の作為を批判,誠の道を提唱した。延享3年8月28日死去。32歳。字(あざな)は子仲,仲子。通称は三郎兵衛。号は謙斎。
【格言など】善をすれば則ち順,悪をすれば則ち逆,これ天地自然の理(ことわり),もとより儒仏の教えに待たず(「出定後語」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

とみながなかもと【富永仲基】
1715‐46(正徳5‐延享3)
江戸中期の大坂の思想史家。字は子仲また仲子。謙斎,南関,藍関と号した。通称道明寺屋三郎兵衛。父徳通は北浜でしょうゆ醸造や漬物商を営み,町人学問所懐徳堂を創建した五同志の一人。仲基も15歳ころまで初代学主三宅石庵に儒学を学んだ。近代の科学研究に先んじて中国古代思想を発展的にとらえ《説蔽(せつへい)》を著し,また仏教思想を成立史的に解明始祖にかこつけて自説を張る過程を,〈加上〉という立論心理の法則的把握で論証した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

富永仲基
とみながなかもと
(1715―1746)

江戸中期の儒学者。大坂に生まれる。通称は吉兵衛。字(あざな)は子仲または仲子。号は謙斎。父は懐徳(かいとく)堂創建の五同志の一人道明寺(どうみょうじ)屋吉左衛門(芳春、1684―1740)。幼時から懐徳堂で三宅石庵(みやけせきあん)(1665―1730)に儒学を学んだが、15、6歳のころには儒教を批判して『説蔽(せつへい)』を著し、師石庵の不興を買ったともいわれる。その後、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の親友でもあった田中桐江(たなかとうこう)(1668―1742)に師事し、その結社呉江社の一員となった。20歳のころには家を出て黄檗山(おうばくさん)で『一切(いっさい)経』の校合に従事し、仏教に対する批判力を培った。その成果は『出定後語(しゅつじょうこうご)』に著され、仏教の諸思想に歴史的批判を加える「加上(かじょう)」説が唱えられている。さらに、平易な和文で書いた『翁(おきな)の文(ふみ)』(1746)では、神儒仏三教を廃棄し、これにかわる「誠の道」を求めることを唱えた。その説は、一方では諸仏家などから非難されたが、他方、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)らに大きな影響を及ぼした。延享(えんきょう)3年8月20日、32歳で死去した。

[上田 穣 2016年6月20日]

『石浜純太郎著『富永仲基』(1940・創元社)』

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精選版 日本国語大辞典

とみなが‐なかもと【富永仲基】
江戸中期の学者。大坂の人。字は仲子・子仲。号は謙斎・南関・藍関。通称道明寺屋三郎兵衛。懐徳堂の三宅石庵に学び、後仏教思想を研究、仏典を批判的に研究して独創的な見解を示す「出定後語(しゅつじょうこうご)」を著わした。他に「説蔽」「翁の文」などがある。正徳五~延享三年(一七一五‐四六

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

富永仲基
とみながなかもと
1715〜46
江戸中期の町人学者
摂津(兵庫県)尼崎の人。幼少より懐徳 (かいとく) に入り,醬油醸造業を営みながらも三宅石庵に陽明学を学んだ。ついで仏教・神道をも学んだが,儒・仏・神のいずれも否定して「誠の道」を求めることを主唱した。彼の思想はのち本居宣長・平田篤胤 (あつたね) にも影響を与えた。著書に『出定後語 (しゆつじようこうご) 』『翁の文』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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