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寺院【じいん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

寺院
じいん
仏像が安置され,出家者が住むところ。中国においては役所,院は官舎であった。外国人の接待を司る鴻臚 (こうろ) 寺に,初めて西域から来たが宿泊したので,それ以後は僧の住所をすべて寺というようになった。

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デジタル大辞泉

じ‐いん〔‐ヰン〕【寺院】
仏寺とそれに付属する別舎をあわせた称。また、広くイスラム教キリスト教礼拝堂にもいう。てら

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

じいん【寺院】
仏教の宗教活動の中心となる建物およびその所在する領域(境内)。精舎(しようじや),僧伽藍(そうぎやらん)(伽藍(がらん)),仏刹(ぶつさつ),寺(てら)などとも呼ばれ,仏舎利をまつる,仏像や諸尊像をまつり仏事供養を行う諸堂,僧侶の修行のための諸施設,布教のための諸施設などを含む。
[インド]
 仏教寺院は,釈迦が比丘(びく)たちの修行のため,雨季に一定の土地を画して(結界)止住させた(安居(あんご))ことに始まる。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

じいん【寺院】
宗教的儀式を執り行うための建物。寺。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

寺院
じいん
仏像を安置し、僧尼がそこに住んで、礼拝(らいはい)・修行・儀式などを行う建物をいう。寺院に相当するサンスクリット語にはビハーラvihraとサンガーラーマsamghrmaとがあり、前者は毘訶羅(ひから)、後者は僧伽藍摩(さんがらんま)、略して伽藍(がらん)と音写される。修行に精励する僧尼の住む舎という意味で、いずれも「精舎(しょうじゃ)」などと訳される。[阿部慈園]

インド

精舎としては、釈尊時代に建てられた舎衛城(しゃえいじょう)の祇園(ぎおん)精舎、王舎城の竹林(ちくりん)精舎が有名である。紀元前3世紀、アショカ王などの援助で、ブッダガヤ、サーンチー、サールナートなどの仏教聖地に、釈迦(しゃか)の遺骨(仏舎利(ぶっしゃり))を祀(まつ)るため仏塔(ぶっとう)(ストゥーパ)が建てられ、そこが信仰の中心となり寺院が建立された。前1世紀ころからアジャンタやエローラなどに石窟(せっくつ)寺院がつくられた。大乗仏教時代になると、大河沿いの平地に教えを学ぶ総合大学形式の大規模な寺院が造営された。ナーランダやビクラマシラー寺院はその典型である。
 なお、チベットのラマ塔やミャンマー(ビルマ)のパゴダなども一種のストゥーパとみなされる。チベットやモンゴルのチベット仏教(ラマ教)寺院もインドの学問寺の形式を継承している。ジャワのボロブドゥール遺跡やカンボジアのアンコール・トムのバイヨン寺も仏教系寺院として有名である。[阿部慈園]

中国

中国で「寺」とは元来「役所」を意味した。外国人の事務・接待をつかさどる鴻臚寺(こうろじ)で西域(さいいき)からの僧をもてなしたので、のちには僧尼の住所をすべて「寺」とよぶようになった。一方、「院」とは、もとは「周囲に巡らした垣」をいったが、転じて「周垣・回廊のある建物」を意味し、「官舎」の名にも用いられた。「寺の中の別舎」をいうこともある。「院」の最初は唐の大慈恩寺(だいじおんじ)の翻経院(ほんきょういん)である。のちに両語をあわせて「寺院」とよぶようになった。中国の寺院の最初は、後漢(ごかん)の明帝(めいてい)が洛陽(らくよう)に建立した白馬寺(はくばじ)(75)とも、呉(ご)王孫権(そんけん)の建初寺(けんしょじ)(247)ともいわれる。隋(ずい)・唐時代になると盛んに寺院が建てられ、弘福寺(こうふくじ)、大慈恩寺などの著名な寺院が次々と建立された。[阿部慈園]

日本

日本では仏教伝来以降、遣隋使、遣唐使、留学僧、さらには百済(くだら)系帰化人を通じて大陸の仏教文化を知り、造寺への意欲を高めた。土地の豪族や王族は競って自分の住む邸宅の中に持仏(じぶつ)堂のような小堂を造立して仏像を祀(まつ)り、わが家の繁栄と子孫の安泰を祈った。このような私宅を改めて寺院としたものを私宅寺院とよぶ。552年(欽明天皇13)蘇我稲目(そがのいなめ)の向原寺(むくはらでら)(豊浦寺(とゆらでら))がその最初と伝えられる。聖徳太子も父用明(ようめい)天皇のために法隆寺を建て、蘇我氏も法興寺を建立して仏法の興隆を図った。しかし本格的な寺院の最初は、6世紀末に建てられた飛鳥寺(あすかでら)、四天王寺である。一方、639年(舒明天皇11)に天皇が初めて「大寺(おおてら)」として大規模な寺院を建てたのが百済大寺(くだらおおてら)(のち高市大寺(たけちのおおてら)、大官大寺(たいかんたいじ)、大安寺(だいあんじ)と改称)である。
 奈良時代には聖武(しょうむ)天皇が『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』の思想に基づき国分寺・国分尼寺を建て、仏教文化による地方の発展と向上を願った。またその運営にあたってはその国の国司がその造営と修理にあたった。聖武天皇は741年(天平13)に国分寺を建てることを発願し、743年に金銅の毘盧遮那(びるしゃな)大仏をつくることを決意した。そして『華厳(けごん)経』に基づいて造像された大仏を本尊として、国の都である平城京の東に東大寺が造営されたが、それは当時の最大規模のものであり、世界文化を踏まえた世界的な巨大寺院としてその偉容を誇った。また東大寺を中心とする奈良仏教(南都六宗)は学派仏教ともいわれ、仏教の教理の研究が中心であった。
 これに対して平安仏教は、最澄(さいちょう)と空海(くうかい)を中心として、奈良周辺の巨大寺院から離れて、新しく山岳の中に僧侶(そうりょ)の修行の道場を中心とする山岳寺院が建てられた。最澄が開いた比叡山(ひえいざん)の延暦寺(えんりゃくじ)では、東塔、西塔、横川(よかわ)の三つの伽藍(がらん)群に分かれ、入寺ののちは12年間山を出ることが許されなかった。また空海は京都東寺(とうじ)(教王護国寺)に進出し、不空(ふくう)三蔵が開いた伝法灌頂(かんじょう)を行う一方、高野山(こうやさん)(和歌山県)に金剛峯寺(こんごうぶじ)を建てた。ここでは大塔中心に伽藍が形成された。平安中期には天皇の個人的な祈願のための御願寺(ごがんじ)が盛んに設けられた。嵯峨(さが)天皇の仁和寺(にんなじ)や、後三条(ごさんじょう)天皇の円宗寺(えんしゅうじ)などが有名であるが、御願寺には始めから存在したものと、新たに御願を受けて建てられたものとがあった。のちに藤原道長(みちなが)が氏寺(うじでら)として、寝殿造に倣い金堂(こんどう)、薬師(やくし)堂、阿弥陀(あみだ)堂、九重塔と池水を配した法成寺(ほうじょうじ)を建てると、白河(しらかわ)天皇も法勝寺(ほっしょうじ)をつくった。のち、この東山の地には六勝寺が建ち並び、まさに京都は仏都としての壮観を呈した。しかし保元(ほうげん)・平治(へいじ)(1156~1160)の源平の兵乱は仏都を地獄と化し、壮麗な寺々も灰燼(かいじん)に帰してしまった。なお、平安時代の大寺院では、「別当(べっとう)」「座主(ざす)」「長者(ちょうじゃ)」などが寺院を管理し、仏教教学を学ぶ学侶や、堂塔を守る堂衆(どうしゅ)などの組織があった。
 鎌倉時代には源頼朝(よりとも)が平家に焼かれた寺院を復興し、武士・御家人(ごけにん)たちは自らの武運長久を祈るための祈願寺を各地に建てた。そして武士は戦いに出て戦死することも多かったので、死後の菩提(ぼだい)を祈る菩提寺が決められていた。武士はことに禅宗を好み剣禅一致を目ざし、禅堂で坐禅(ざぜん)にいそしんだ。また別に、戦乱のなかで念仏(南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ))を唱えることを民衆に訴えた法然源空(ほうねんげんくう)や親鸞(しんらん)は阿弥陀仏のみを信仰することを求め、日蓮(にちれん)は六字の名号(みょうごう)(南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう))のみを唱えることを強調したので、これらの寺では弥陀一仏のみを祀り、脇仏を排している。このような祖師仏教を中心とする寺院では、本尊を安置する場よりも、大衆のために行う説教のための会堂を広くとっている。
 江戸時代になると寺院はおもに町の中につくられ、ことに城下町では寺町が設けられた。また往古の寺領は幕府に召し上げられ、そのかわりに知行(ちぎょう)が与えられた。また、本寺(本山)と末寺の関係、すなわち本末制度が幕府によって強化された。さらに幕府のキリシタン禁制により、人々はいずれかの寺院に所属しなければならないとする檀家(だんか)制度も確立した。その後、明治政府の神仏分離政策により、多くの寺院は統廃合された。[平岡定海]
『平岡定海著『日本寺院史の研究』(1981・吉川弘文館)』

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精選版 日本国語大辞典

じ‐いん ‥ヰン【寺院】
〘名〙 寺とそれに付属した別舎の総称。また、寺をいう。
※法隆寺伽藍縁起并流記資財帳‐天平一九年(747)二月一一日「合寺院地 四方各一百丈」
徒然草(1331頃)一一六「寺院の号、さらぬ万の物にも、名をつくる事、昔の人はすこしも求ず」 〔宋史‐礼志・一六〕

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