●小アジア【ショウアジア】
デジタル大辞泉
しょう‐アジア〔セウ‐〕【小アジア】
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世界大百科事典 第2版
しょうアジア【小アジア Asia Minor】
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大辞林 第三版
しょうアジア【小アジア】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
小アジア
しょうあじあ
Asia Minor
小アジアの北部は黒海に沿って東西にポントゥス山脈が、南部には海岸線に平行してトロス山脈が走る。トロス山脈の東部に続くアンティ・トーラス山脈にはアラ・ダー(アララト火山)などの高い山々があり、ティグリス、ユーフラテス両大河もこの山脈中に源を発する。黒海とトロス山脈に挟まれた内陸部は標高600メートルを超すアナトリア高原である。海岸地帯は冬季に雨量の多い地中海性気候で、内陸部は年降水量が少なく、寒暖の差が大きい大陸性気候である。[永田真知子]
歴史
小アジアはアジアから西へ向かう通路にあたり、古来、多くの国家が興亡した。最初の統一国家は、紀元前二千年紀にヒッタイト人が中部に建てたヒッタイト王国である。前1200年ごろには西部から中部を中心にフリギア人が王国を建て、この国は500年続いた。前1100年ごろ、ギリシアのアカイア人はドーリス人の侵入を受けたため、小アジアの南西部の海岸沿いに定着し、多くの植民都市をつくった。なかでも、南西部にできたリディア人の国は、東方へ通じる「王の道」とよばれる街道を開いたが、これは征服者の道ともなった。リディアは東方から侵入したペルシア人に滅ぼされた。前334年、マケドニアのアレクサンドロスは大兵力を率いて小アジアに進出、小アジアを征服したが、彼の死後、部将間の争いで、この土地はセレウコス朝の領土となり、のちにカッパドキア、ポントス、ビティニア、ペルガモンの四つの王国ができた。ペルガモンがローマと同盟をしたため、ペルガモン王の死後、ローマの属州となり、紀元1世紀には他の王国もローマ領となった。5世紀末、西ローマ帝国が滅びると、ビザンティン帝国が古代ローマを継承してこの土地を支配した。10世紀に入ると、大セルジューク朝のトルコ人がビザンティン帝国の東部国境地帯を脅かした。1071年のマラズギルトの戦いに勝利したトルコ人は、小アジアに進出した。トルコ人は数十年にわたる征服活動ののち、小アジアのほぼ全域を手に入れ、コンヤを首都として、ルーム・セルジューク朝を開いた。しかし、13世紀中葉、この王朝はモンゴル軍の侵攻を受け、キョセダウの戦い(1234)の敗北後、モンゴルの支配下に甘んじ、14世紀初頭に滅びた。このころ、国境の警備に配置されていた君侯(ベイ)たちがそれぞれ独立して君侯国(ベイリク)を建てた。北西部にできたオスマン侯国もそのなかの一つで、始祖オスマンの父エルトゥルルはルーム・セルジューク朝の家臣であった。ソユトの封土はその地を防衛する任務とともに与えられた。2代目オルハンはブルサを首都として領土を拡大し、オスマン朝の基礎をつくった。
13世紀後半から14世紀後半に、オスマン朝の軍隊は、周辺のキリスト教君侯の領土はもとより、バルカン半島(ルメリア)に進出して、スラブ民族も彼らの支配下に置いた。ルメリアの征服地を維持するため、小アジアの住民を移住させることも行われた。15世紀初頭のティームールの小アジア侵入はオスマン朝に打撃を与えたが、短期間に再建され、小アジアの諸侯国すべてがオスマン朝の領土となった。オスマン軍は1453年にビザンティン帝国を滅亡させた。16世紀にはティマール制とよばれる軍事封土制のもとで農業生産は増大し、商工業も栄えてオスマン帝国は最盛期を誇った。
しかし、17、18世紀を通じてオスマン帝国は、経済的にも軍事的にも強力になったヨーロッパ諸国と対抗できず衰退に向かった。
第一次世界大戦の敗北は、イギリス・フランス・イタリア軍の進駐を許し、小アジアは連合国による分割の危機にさらされた。さらにギリシア軍による西アナトリア地方占拠はトルコ人の民族意識を高揚させ、ムスタファ・ケマル(ケマル・アタチュルク)を中心に祖国解放闘争の道を開いた。そしてこれに勝利した革命軍は1923年、アンカラを首都とした新生トルコ共和国を誕生させた。[永田真知子]
『D・ホサム著、護雅夫訳『トルコ人』(1983・みすず書房) ▽松原正毅著『遊牧の世界』(中公新書) ▽永田雄三・加賀谷寛・勝藤猛著『中東現代史

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精選版 日本国語大辞典
しょう‐アジア セウ‥【小アジア】
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