●小塚原【こづかっぱら】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
小塚原
こづかっぱら
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デジタル大辞泉
こづかっぱら【小塚原】
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世界大百科事典 第2版
こづかっぱら【小塚原】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
小塚原
こづかっぱら
東京都荒川区南東部、南千住(みなみせんじゅ)にあった地名。この地の鎮守の飛鳥(あすか)明神社境内に瑞光(ずいこう)を発した石を埋めた塚があり、これを小塚といい、それが地名の由来で、小岩原、古塚原とも記した。東海道の鈴ヶ森とともに、江戸の二大仕置場(しおきば)(刑場)の一つが置かれ、明治初年の廃止まで約20万人が処刑されたという。その霊を回向(えこう)する回向院が1667年(寛文7)両国回向院の別院として建てられた。境内に1771年(明和8)蘭方医(らんぽうい)前野良沢(りょうたく)らが刑場の刑死者の腑分(ふわけ)(解剖)に立ち会い、それを機に『解体新書』を翻訳、出版したことを記念した観臓(かんぞう)記念碑、また近くに刑場の名残(なごり)を示す首切り地蔵(延命(えんめい)地蔵)がある。なお、現在回向院は南千住5丁目、小塚原刑場跡は南方の南千住2丁目まで拡がる。
[沢田 清]
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精選版 日本国語大辞典
こづかっぱら【小塚原】

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