●小川破笠【おがわ はりつ(はりゅう)】
美術人名辞典
小川破笠
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デジタル大辞泉
おがわ‐はりつ〔をがは‐〕【小川破笠】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
小川破笠 おがわ-はりつ
寛文3年生まれ。江戸で俳諧(はいかい)を福田露言,松尾芭蕉(ばしょう)にまなぶ。画は英一蝶(はなぶさ-いっちょう)の門下とも。漆芸にひいで,漆器に貝,鉛,牙角(げかく),堆朱(ついしゅ),陶片などを嵌入(かんにゅう)した破笠細工とよばれる独特の蒔絵をつくった。延享4年6月3日死去。85歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。名は観。字(あざな)は尚行。通称は平助。別号に宗宇(羽),笠翁,卯観子,夢中庵。
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世界大百科事典 第2版
おがわはりつ【小川破笠】
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
小川破笠
おがわはりつ
[没]延享4(1747).江戸
江戸時代中期の漆芸家。名は観,字は尚行,通称平助。笠翁,卯観子,夢中庵などの号もある。江戸に出て芭蕉の門に入り俳諧をよくし,絵,漆芸など諸芸を学ぶ。其角,嵐雪,英一蝶 (はなぶさいっちょう) とも親交があった。漆芸家としては本阿弥光悦の技法を研究し,さらに新味を出した。漆器面に鉛,貝のほか陶片,牙角,堆朱 (ついしゅ) などをはめこみ,中国風の文様を施した。これを「破笠細工」と呼ぶ。弟子に望月半山がおり,2世破笠を称した。代表作『柏木兎図料紙箱』など。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
小川破笠
おがわはりつ
(1663―1747)
江戸中期の漆芸(しつげい)家、絵師、俳諧師(はいかいし)。俗称平助、名を観、字(あざな)を尚行、宗羽、号を破笠、笠翁(りつおう)、卯観子(うかんし)、居を夢中菴(あん)と称した。伊勢(いせ)(三重県)の人。のち江戸に出て俳諧を福田露言、芭蕉(ばしょう)に学ぶ。また、絵を英一蝶(はなぶさいっちょう)に学んだとする説と、土佐画を描いたとする説があるが、彼の作品は細巧な描写の人物画が多い。とくに漆芸に優れて名を高め、独得な加飾手法で知られている。漆器に鉛、貝、陶片、牙角(がかく)、堆朱(ついしゅ)などを嵌装(かんそう)し、蒔絵(まきえ)とともに加飾した技法に特色がみられ、世に破笠細工と称し、その類似が広がった。作品に中国趣味あふれる図様を取材しているが、中国の墨を模したりしているのもその好例である。50歳過ぎに、津軽藩の産業を振興した5代藩主信寿(のぶひさ)に召し出され、優遇されて晩年を過ごした。代表作に旧津軽家の『柏木菟(かしわみみずく)図料紙硯箱(すずりばこ)』、『古墨(こぼく)蒔絵硯箱』(東京国立博物館蔵)がある。子孫は絶え、漆芸の後継者として望月(もちづき)半山が2世破笠を称した。
[郷家忠臣]
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精選版 日本国語大辞典
おがわ‐はりつ【小川破笠】
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