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小林一三【こばやしいちぞう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

小林一三
こばやしいちぞう
[生]1873.1.3. 山梨韮崎
[没]1957.1.25. 大阪,池田
実業家。 1892年慶應義塾卒業。翌 1893年三井銀行に入社したが 1907年退社,同年箕面有馬電気軌道 (現阪急電鉄 ) の設立に参加して専務就任,以後鉄道沿線の宅地開発,娯楽施設の設置により路線を新設。やがて実業界の第一人者となり,阪急百貨店などの設立にも成功し,またこの間東京電灯,日本軽金属の社長を歴任興行面では 1913年宝塚少女歌劇団,1937年東宝映画を設立。 1940年第2次近衛内閣の商工大臣,1945年幣原内閣の国務大臣兼復興院総裁となったが,1946年追放令公職追放により公職を退いた。 1951年追放解除とともに東宝社長に復帰,東京有楽町のアミューズメント・センターの復興,宝塚歌劇の強化に努め,大阪,京都,名古屋に大劇場を建て,映画,演劇ミュージカルの興行を盛んにした。 1956年には新たな国民演劇育成を目指して大阪梅田と東京新宿にコマ劇場を建設した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

こばやし‐いちぞう〔‐イチザウ〕【小林一三】
[1873~1957]実業家。山梨の生まれ。阪急電鉄・宝塚少女歌劇・東宝映画を創立。政界にも進出し、商工相・国務相を歴任。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

小林一三 こばやし-いちぞう
1873-1957 明治-昭和時代の実業家。
明治6年1月3日生まれ。40年箕面(みのお)有馬電気軌道(現阪急電鉄)の創立にかかわり,専務,のち社長。沿線の宅地開発,宝塚少女歌劇団の創設,大阪梅田のターミナルデパート開設など独創的な多角化戦略を展開。また東京宝塚劇場や東宝映画を創立。第2次近衛(このえ)内閣の商工相,幣原(しではら)内閣の国務相。公職追放解除後は東宝社長。大阪,東京にコマ劇場を設立。昭和32年1月25日死去。84歳。山梨県出身。慶応義塾卒。
【格言など】すべての事業の対象は大衆であり,どんな仕事の末端も大衆につながっている

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

こばやしいちぞう【小林一三】
1873‐1957(明治6‐昭和32)
都市近郊私鉄経営の先駆者。山梨県に生まれる。1892年慶応義塾を卒業後三井銀行に入社したが,1907年初めに辞職,同年10月,箕面有馬電気軌道(1918年阪神急行電鉄と改称,現阪急電鉄)を創設して専務となり,27年に社長に就任した。この間,乗客誘致のため沿線で住宅地を分譲し,宝塚には遊園地を開いて宝塚少女歌劇団をおこし,さらに梅田のターミナルビルデパートを経営するなど,その独創的な経営戦略は私鉄経営の模範とされた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

こばやしいちぞう【小林一三】
1873~1957 実業家。山梨県生まれ。阪急電鉄・宝塚歌劇・東宝映画を創立。また、商工相・国務相などを歴任。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

小林一三
こばやしいちぞう
(1873―1957)
実業家。阪急東宝グループ(現、阪急阪神東宝グループ)などの創始者で、新機軸を導入して私鉄経営のモデルをつくった。山梨県出身。慶応義塾卒業後、三井銀行に入る。1907年(明治40)転じて箕面有馬(みのおありま)電気軌道(のち阪急急行電鉄)の創立に参画、専務となる。宅地開発、娯楽施設、百貨店などを電鉄経営に組み合わせるアイデアを採用し、路線を拡大して田舎(いなか)電車を屈指の電鉄会社に育てた。1927年(昭和2)社長、1934年会長に就任。宝塚の少女唱歌隊を宝塚少女歌劇団、阪急ビルのマーケットを阪急百貨店へと発展させる。1932年東京宝塚劇場を設立し、日劇、帝劇を合併して有楽町に娯楽センターをつくり、映画事業にも進出して東宝を創立する。東京電燈(でんとう)(東京電力の前身)の経営立て直しで評価され、1933年社長となる。1940年商工大臣、1945年国務大臣兼戦災復興院総裁に就任。第二次世界大戦後は、東宝の再建を果たし、またコマ劇場を大阪・梅田と東京・新宿に設立した。[前田和利]
『小林一三全集編集委員会編『小林一三全集』全7巻(1961~1962・ダイヤモンド社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

こばやし‐いちぞう【小林一三】
実業家。山梨県出身。慶応義塾卒。箕面(みのお)有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)を創立。乗客を集めるため、宝塚少女歌劇団、阪急百貨店を創始し、私鉄経営に新機軸を打ち出した。また、東京電灯(現在の東京電力)、東宝社長として電気業界、興行界にも重きをなした。第二次近衛内閣に商工相、幣原(しではら)内閣に国務相として入閣。明治六~昭和三二年(一八七三‐一九五七

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