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小田原評定【オダワラヒョウジョウ】

デジタル大辞泉

おだわら‐ひょうじょう〔をだはらヒヤウヂヤウ〕【小田原評定】
豊臣秀吉小田原征伐のとき、北条方の和戦の評定が容易に決定しなかったところから》長引いて容易に結論の出ない会議・相談。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

おだわらひょうじょう【小田原評定】
小田原談合,小田原咄などともいう。1590年(天正18)豊臣秀吉が,後北条氏を相模小田原城に攻めたとき,城内の評定で対策が評議されたが,空しく日を過ごすのみであったという故事から,一般にいつまでもまとまらない会議,相談を指すようになった。槙島昭武《関八州古戦録》(1726成立)にこの故事が紹介され,小山田与清(ともきよ)の《松屋筆記》に,〈北条氏直愚将にして物に決断なく,群臣をして評議せしむれど,空しく座談のみにて,其実に用る事能はず,遂に廃滅せり,世にこれをとりて不成の評議を小田原評定と云へり〉とあって,江戸時代広く知られていた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

小田原評定
おだわらひょうじょう

相談の結果がなかなかつかないこと。小田原咄(はなし)、小田原相談ともいう。小田原は神奈川県西部の現小田原市、評定は集まって相談することをいう。1590年(天正18)豊臣(とよとみ)秀吉が小田原城の北条氏を包囲攻略したとき、小田原城中では城主氏直(うじなお)らが、腹臣の家来たちと和戦いずれにするかを相談したが、なかなか決着せずに、いたずらに日時を送った故事に由来し、いつまでたってもいっこうに結論の出ない相談や会議をいう。

[棚橋正博]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

おだわら‐ひょうじょう をだはらヒャウヂャウ【小田原評定】
〘名〙 (天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉が小田原城の北条氏を攻めた際、城中で和戦の意見が対立し、いたずらに日時を送ったところから) いつになってもきまらない会議、相談。小田原談合。小田原咄。小田原相談。
※諺苑(1797)「小田原評定」

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ことわざを知る辞典

小田原評定
誰も責任を負って決断しようとせず、いつまでも結論が出ない会議や話し合いのたとえ。

[使用例] 今、眼前に迫って居る。必死危急の場合である。小田原評定をやって、一刻をも緩うすべき時ではない[菊池寛乱世|1921]

[解] 天正一八年(1590)、豊臣秀吉が小田原城の北条氏政・氏直を攻めた際に、城内では意見がまとまらず、いたずらに時を過ごし、ついに降伏したことから、むだに時間ばかりかけて何事も決まらない話し合いを、関東で「小田原談合」と言いはやしたということです。また、北条氏が下級武士を含む代議制評定所を設け、議論が長引いたところにこのことわざの起源を求める説もあります。

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故事成語を知る辞典

小田原評定
誰も責任を持って決断しようとせず、いつまでも結論が出ない会議や話し合いのたとえ。

[使用例] 今、敵は眼前に迫って居る。必死危急の場合である。小田原評定をやって、一刻をもゆるうすべき時ではない[菊池寛*乱世|1921]

[使用例] 小田原評定をつづけていた世界連合の臨時緊急会議もようやはらが決まったらしく[海野十三*地球発狂事件|1945~46]

[由来] 天正一八年(1590)、天下統一まで目前に迫った豊臣秀吉が、小田原城の北条うじまさうじなおを攻めた際のこと。小田原城内では、城に立てこもるのか出撃するのか、また、徹底抗戦するのか和平の道を探るのか、なかなか意見がまとまりません。いたずらに時を過ごした後、結局は降伏しましたが、氏政は切腹、流罪となった氏直は失意のうちに亡くなり、戦国大名としての北条氏は滅亡してしまいました。ここから、むだに時間ばかりかけて何事も決まらない話し合いを、関東で「小田原談合」と言いはやした、と一八世紀に書かれた「関八州古戦録―一七」にあります。また、一九世紀の「松屋筆記―九〇・四三」では、同じことを「小田原評定」と呼んでいます。なお、北条氏が下級武士を含む代議制の「評定所」を設けていたため、議論が長引いたところにこの故事成語の起源を求める説もあります。

[解説] ❶小田原の北条氏は、関東地方全域を支配する大大名。いくら豊臣秀吉が相手だとはいえ、それが結局は戦わずして降伏してしまったというのは、当時の人々にとって大きな衝撃だったことでしょう。❷それを踏まえて、会議にかけた時間が致命的なロスになる場合に用いると、効果的です。

出典:故事成語を知る辞典
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