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尚真【しょう・しん】

日本大百科全書(ニッポニカ)

尚真
しょうしん
(1465―1526)

琉球(りゅうきゅう)王国の最盛期をつくりあげた王。神号於義也嘉茂慧(おぎやかもい)。第二尚氏王朝の開祖尚円(しょうえん)を父に、オギヤカを母に生まれた。1476年、尚円が死去すると、群臣は世子尚真いまだ幼少との理由により尚円の弟尚宣威(しょうせんい)を2代目の王とした。ところが即位後まもなく尚宣威は尚円妃オギヤカの策謀により退位させられ、弱冠12歳で尚真が3代目の王となった(1477)。以後死去までの50年間王位に君臨し、琉球王国の歴史に一時代を画する施策を展開した。

 まず外交・貿易の振興を国策の第一とした。とくに中国(明(みん))との関係強化に努め、年平均5隻の船舶を中国に派遣するなど中国貿易を飛躍的に前進させた。そのほか、日本や朝鮮、東南アジア諸国(シャム、マラッカ、安南(あんなん)、スンダ、パタニ)との間にも活発な貿易を行っている。次に国内政策では、各地で隠然たる勢力を保っていた按司(あんじ)を王都首里(しゅり)に集居させ、王を頂点とする位階制のなかに彼らを編成した。敵対者に対しては武力を用いて平定するという強行策もとっている(1500年の八重山(やえやま)のアカハチ・ホンガワラの乱平定など)。国家機構の整備、地方統治制度の強化も行っており、また聞得大君(きこえおおぎみ)を頂点とする神女組織も確立している。円覚寺の建立(1493)、真玉道(まだんみち)の築造(1522)などの土木建築事業を営み、王の事蹟(じせき)を顕彰するため多くの碑文が立てられた。オモロは「天と地上をあわせた世界の王」と彼の絶対的な権威ぶりをうたっている。こうして、首里を拠点とし、北は奄美(あまみ)諸島から南は八重山諸島に及ぶ島嶼(とうしょ)を版図とする琉球王国が確立された。1526年12月11日死去。彼自ら造営した王家の墓玉御殿(たまうどぅん)(玉陵)に葬られた。

[高良倉吉]

『高良倉吉著『琉球の時代』(1980・筑摩書房)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

しょう‐しん シャウ‥【尚真】
琉球、第二尚氏王朝の三代目の王。琉球を統一した中山王、尚円の子。一二歳で即位。外交・貿易を振興し、強固な中央集権制を確立。尚王朝の全盛期をつくりだした。(一四六五‐一五二六

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