●尼子晴久【あまこはるひさ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
尼子晴久
あまこはるひさ
[没]永禄3(1560).12.24. 出雲
戦国時代の武将。政久の子,経久の孫。初め詮久。父が早世したため,天文 10 (1541) 年祖父の死とともに家督を継ぐ。出雲を本拠に中国地方東部に大領国を形成した晴久は,隣接する毛利,大内氏との間に戦いを繰返したが,やがて勢威衰え,居城富田城に孤立し没した。
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デジタル大辞泉
あまこ‐はるひさ【尼子晴久】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
尼子晴久 あまこ-はるひさ
永正(えいしょう)11年2月12日生まれ。尼子政久の子。父が早世したため,天文(てんぶん)10年祖父経久(つねひさ)から家督を相続。領国をめぐり毛利元就(もとなり)らと攻防をくりかえす。21年出雲(いずも)(島根県),隠岐(おき)(島根県),伯耆(ほうき)(鳥取県)など8ヵ国の守護となる。23年叔父尼子国久の新宮党をほろぼし,一族の衰退をまねいた。没年については永禄(えいろく)3,4,5年説がある。初名は詮久。
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世界大百科事典 第2版
あまこはるひさ【尼子晴久】
戦国時代の武将。初め詮久,1541年(天文10)将軍足利義晴の偏諱(へんき)をうけ晴久と改めた。民部少輔,のち従五位下修理大夫。父政久早世のため祖父経久より出雲を中心とする山陰の支配力,砂鉄・美保関などの経済力を継承した。40年,山陰の総力をあげて大内氏と結んだ毛利元就の居城安芸郡山を攻囲したが,翌年毛利・大内勢の反撃に敗走した。42年,芸・備・石の国人を合わせた大内義隆の出雲侵攻を許したが,富田(とだ)城に拠って防戦,翌年これを撃退した。
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367日誕生日大事典
尼子晴久 (あまこはるひさ)
戦国時代の武将
1561年没
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精選版 日本国語大辞典
あまこ‐はるひさ【尼子晴久】
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