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尼港事件【にこうじけん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

尼港事件
にこうじけん
シベリア出兵中の日本軍隊とソビエトパルチザンとの間の紛争事件。 1920年2月アムール川河口のニコライエフスク (尼港) を占領中の日本軍はソビエト・パルチザンの攻撃を受け,降伏。将兵および居留民捕虜となった。5月 25日,日本側の反撃に対し,パルチザン側は,351名の将兵,副領事を含む 383名の日本居留民を殺害,市内を焼払って逃亡した。ソビエト政府は事件責任者を死刑に処し,事件には無関係との態度をとった。このため,日本政府は交渉すべき相手方政府が存在しないことを理由に,北樺太・サガレン州の主要地点を保障占領した。 25年調印された日ソ基本条約附属公文においてソビエト政府が日本政府に遺憾のを表明する一方,日本側も保障占領を解除してようやく解決した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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朝日新聞掲載「キーワード」

尼港事件
ロシア革命後の1920(大正9)年3〜5月、アムール川河口の港町ニコラエフスク(尼港)で、駐留していた旧日本軍や在留邦人約700人、資産家階級のロシア人数千人がバルチザン(不正規軍)に虐殺された。旧ソ連政府は事件後、責任者を処刑賠償を求めた日本は北樺太を保障占領した。
(2007-03-09 朝日新聞 朝刊 熊本全県 1地方)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

にこう‐じけん〔ニカウ‐〕【尼港事件】
シベリア出兵中の大正9年(1920)、ソ連のパルチザンが尼港で日本人捕虜などを殺害した事件。日本の世論は激高し、日本軍は事件解決まで北樺太(からふと)を保障占領した。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

にこうじけん【尼港事件】
シベリア出兵中の1920年3~5月に尼港(ニコラエフスク・ナ・アムーレ)で発生した事件。同市はソ連(現,ロシア)極東のアムール川河口に近い漁業都市で日本領事館も置かれていた。日本軍はここを1918年9月占領し,20年冬には日本人居留民約380名,陸軍守備隊1個大隊,海軍通信隊約350名がいた。たまたま同年1月トリャピーツィンYa.I.Tryapitsinの率いる約4000名のパルチザン部隊が日本軍を包囲した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

にこうじけん【尼港事件】
日本がシベリア出兵中の1920年(大正9)、パルチザンとの衝突により、尼港の七百余名の日本軍守備隊および居留民が殺害された事件。日本はこれを口実にして事件解決まで北樺太からふとを占領した。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

尼港事件
にこうじけん
シベリア出兵中の紛争事件。1920年(大正9)2月、黒竜江のオホーツク海河口にあるニコラエフスク(尼港)を占領中の日本軍1個大隊と居留民700余名は、約4000のパルチザンに包囲され、休戦協定を受諾した。ところが3月12日、日本側が不法攻撃に出たため、パルチザンの反撃を受けて日本軍は全滅し、将兵、居留民122名が捕虜となった。5月日本の救援軍が尼港に向かうと、パルチザンは日本人捕虜と反革命派ロシア人を全員殺害し、市街を焼き払って撤退した。日本はこの事件を「過激派」の残虐性を示すものとして大々的に宣伝し、反ソ世論を高めた。参謀本部はこれを利用して、アムール州からの撤兵を中止し、7月にはハバロフスク駐兵の継続を決め、またこの事件の解決をみるまで北樺太(からふと)を保障占領するとして、これを実行した。25年日ソ国交回復交渉で日本は賠償請求したがソ連は拒み、結局5月に樺太から撤兵して解決した。[由井正臣]
『参謀本部編『大正7年乃至11年西伯利出兵史』全3巻(1938/復刻版・全六巻・1972・新時代社) ▽井上清著『日本の軍国主義』(1953・東京大学出版会)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

にこう‐じけん ニカウ‥【尼港事件】
シベリア出兵中、黒龍江口のニコラエフスク‐ナ‐アムーレ(尼港)を占領していた日本軍が、大正九年(一九二〇)三月、パルチザンに包囲されて全員殺害された事件。日本は賠償要求も成らず撤退した。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

尼港事件
にこうじけん
1920(大正9)年,シベリア出兵中,日本軍とソ連パルチザンとの間におこった紛争
ニコライエフスク事件ともいう。シベリア出兵でニコライエフスク(尼港)を占領していた日本軍はパルチザン(非正規軍)に包囲されていったん降伏し,奇襲反撃に出たが再び敗れ,日本人居留民・将兵ら推定700余人が殺害され,122名が捕虜となった。その後日本援軍の侵攻を聞いたパルチザンは市中を焼き払い捕虜全員を殺害して撤退した。日本は,賠償を要求し北樺太 (からふと) を占領したが,1925年日ソ国交回復とともに撤兵した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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