@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

山口【やまぐち】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

山口
やまぐち
岐阜県南東部,中津川市南東部の旧村域。以前は長野に属した。木曾谷南端木曾川左岸にあり,気候は太平洋岸型に近い。 1889年長野県山口村として村制。 1958年神坂村の一部を編入。 2005年岐阜県中津川市に編入。主要集落は旧中山道沿いにある。馬籠近世の宿場景観を残し,島崎藤村の出身地としても知られ,東境馬籠峠とともに訪れる人が多い。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

やま‐ぐち【山口】
山の登り口。山への入り口。
鷹狩(たかが)りで、まず狩り場に入ること。また、その所。
「―入らせ給ひしほどに、しらせうといひし御鷹の、鳥を取りながら」〈大鏡・道長下〉
《猟師が山の入り口で、獲物の有無を直感するというところから》物事のきざし。兆候。
「いちじるき―ならばここながら神のけしきを見せよとぞ思ふ」〈かげろふ・上〉

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

やまぐち【山口】[地名]
中国地方西部の県。もとの長門(ながと)周防(すおう)の2国にあたる。人口145.1万(2010)。
山口県中央部の市。県庁所在地。中世、大内氏が京都を模した町を建設し発展。幕末にから毛利氏藩庁が移された。常栄寺庭園・瑠璃光寺などの史跡湯田温泉がある。平成17年(2005)に徳地町・秋穂(あいお)町・小郡(おごおり)町・阿知須(あじす)町と合併。平成22年(2010)に阿東町を編入。人口19.7万(2010)。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

やまぐち【山口】[姓氏]

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

やまぐち【山口】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

やまぐち【山口】
山の上り口。
鷹狩りで、狩り場に入る所。 さて-いらせ給ひしほどに/大鏡 昔物語
物事のはじめ。また、前兆。 すぐれたる人の-はしるかりけれ/源氏 松風

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

やまぐち【山口】
中国地方西端の県。かつての周防すおう・長門ながと二国を占める。北と西は日本海、南は瀬戸内海に面する。大部分が中国山地の西端部に当たる丘陵で、中部の秋吉台はカルスト地形。県庁所在地、山口市。
山口県中部の市。県庁所在地。中世、二百余年間大内氏の城下町として繁栄。江戸末期、毛利氏の藩庁が置かれた。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

やまぐち【山口】
姓氏の一。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

山口
やまぐち
長野県南西部、木曽郡(きそぐん)にあった旧村名(山口村(むら))。現在は岐阜県中津川市東部を占める地域。1958年(昭和33)長野県西筑摩郡(にしちくまぐん)神坂村(みさかむら)が中津川市に編入した際、馬籠(まごめ)、峠、荒町(あらまち)の3地区は山口村に編入。山口村は生活圏としては中津川市に属していたため、2005年(平成17)長野県から岐阜県中津川市に越県編入した。旧村域は木曽谷の南端にあり、国道19号(中山道(なかせんどう))が通じ、JR中央本線中津川駅からバス便で結ばれている。気候は温暖で、太い竹の林や茶畑があり、木曽川左岸の傾斜地は水田化している。旧中山道に沿う馬籠は近世の木曽十一宿の馬籠宿で、島崎藤村の出身地として知られる。藤村記念館、島崎家の墓所永昌(えいしょう)寺、清水屋資料館、馬籠脇本陣史料館、東山魁夷(かいい)のリトグラフなどを展示する東山魁夷心の旅路館などがある。[小林寛義]
『『山口村誌』全2巻(1995・山口村)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

事典・日本の観光資源

山口
(静岡県湖西市)
美しい日本のむら景観100選指定の観光名所。

出典:日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

やま‐ぐち【山口】
[1] 〘名〙
① 山の登り口。山の入口。麓。
※琴歌譜(9C前)山口振「夜万久知(ヤマグチ) 大菅原を 牛は踏む 猪は踏むともよ 民な踏みそね」
② 鷹狩りの時、狩りをしようとして先ず狩り場にはいること。また、その所。狩り場への入口。
※大鏡(12C前)六「さて山ぐちいらせ給しほどに、しらせうといひし御鷹の、とりをとりながら」
③ (山かせぎの者が、山への入口で、その日の獲ものの有無を直感するというところから) 物事のきざし。兆候。前ぶれ。
※蜻蛉(974頃)上「いちじるき山ぐちならばここながら神のけしきをみせよとぞおもふ」
④ 樵(きこり)が山の木を伐り始めること。
[2]
[一] 山口県中央部の地名。県庁所在地。延文年間(一三五六‐六一)大内弘世が京都に模した市街を建設し、大内氏の隆盛とともに繁栄。江戸末期に毛利氏の藩庁が置かれた。常栄寺庭園、瑠璃光寺五重塔(国宝)、洞春寺観音堂、ザビエル記念聖堂、湯田温泉などがある。昭和四年(一九二九)市制。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

やまぐち【山口】
姓氏の一つ。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

山口
やまぐち
山口県中央部にある県庁所在地
南北朝時代,大内弘世 (ひろよ) がここに移って以来大内氏城下町として発展応仁の乱(1467〜77)後は戦火を避けた公家僧侶が多く来住し,ザビエルらの宣教師,雪舟らの画僧・文化人が集まり,小京都といわれた。大内氏滅亡後衰えたが,幕末,毛利氏が萩から移り再び政治の中心地となった。1929年市制施行。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

山口」の用語解説はコトバンクが提供しています。

山口の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation