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山名持豊【やまなもちとよ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

山名持豊
やまなもちとよ
[生]応永11(1404).5.19.
[没]文明5(1473).3.18. 京都
室町時代中期の武将。時煕の嫡子。母は山名師義の娘。幼名,小次郎。法名は宗全,また宗峯。号は遠碧院。弾正少弼,右衛門佐,右衛門督などを歴任。応永 20 (1413) 年正月元服し,将軍足利義持から偏諱を与えられ持豊と改名。永享5 (33) 年父の跡を継いで但馬,備後,安芸,因幡の守護となり,嘉吉1 (41) 年の嘉吉の乱には,幕府軍の中心として播磨に攻め入り,9月赤松満祐,義雅を自殺させ,播磨守護を兼帯した。文安1 (44) ~2年赤松満政を討伐し,宝徳2 (50) 年4月南禅寺に塔頭 (たっちゅう) 真乗院を創建した。康正1 (55) 年5月赤松則尚を播磨に討ち,応仁1 (67) 年斯波,畠山の内訌が激化すると畠山義就斯波義廉に味方して,畠山政長斯波義敏を応援した細川勝元と対立し,同年1月諸将を集めて足利義政に迫り,勝元の政長支援をやめさせ,また勝元が足利義視を奉じて挙兵するのを恐れて義視を京都に移すなど策略をめぐらした。しかし同年5月持豊,勝元はそれぞれの与党を招集し,持豊は西軍の,勝元は東軍の総帥となって戦い,応仁,文明の大乱へと突入していった。文明1 (69) 年義政と義視とが不和になり,義視を迎えたが,持豊は同5年陣中で没した。 (→応仁の乱 )  

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デジタル大辞泉

やまな‐もちとよ【山名持豊】
[1404~1473]室町中期の武将。法名、宗全。但馬(たじま)・備後(びんご)などの守護職嘉吉の乱赤松満祐を討ったにより播磨(はりま)の守護職も得た。のち、細川勝元と対立して応仁の乱を起こしたが、乱の半ばに病没

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

山名持豊 やまな-もちとよ
1404-1473 室町時代の武将。
応永11年生まれ。山名時煕(ときひろ)の子。永享5年家督,7年惣領職をつぐ。嘉吉(かきつ)の乱で播磨(はりま)(兵庫県)白旗城に赤松満祐(みつすけ)を討ち,明徳の乱でうしなった領地を回復し,一族で9ヵ国を領する。管領(かんれい)斯波(しば)・畠山家の相続問題に介入。足利将軍家後継問題では義政(よしまさ)の妻日野富子にたよられ義尚(よしひさ)を擁立,義視(よしみ)を支持する細川勝元と対立して応仁の乱となり,西軍の陣中で文明5年3月18日死去。70歳。法名は宗全。
格言など】例という文字をば,向後は時という文字にかえて御心えあるべし(「塵塚物語」)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

やまなもちとよ【山名持豊】
1404‐73(応永11‐文明5)
室町時代の武将。時熙(ときひろ)(常熙(じようき))の子。法名宗全。将軍足利義持の偏諱(へんき)を与えられる。長兄満時は侍所頭人(とうにん)も務めたが若くして没し,次兄持熙も将軍義教に疎まれたため,嫡子となり,1433年(永享5)但馬,備後,安芸,伊賀の守護職を譲られ,37年持熙を討って惣領権を確立する。40年には,1402年(応永9)に寺納年貢1000石で守護請した高野山領備後大田荘の年々の未進累積額が2万0600石余に達したことを理由に,代官犬橋氏を改替するよう高野山側から訴えられている。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

やまなもちとよ【山名持豊】
1404~1473 室町中期の武将。法名は宗全。1435年山名氏惣領となる。嘉吉かきつの乱で赤松氏を討ち、その功で播磨・石見などを与えられ、一族の勢威を回復。応仁の乱では日野富子・足利義尚を支持して西軍の大将となり、細川勝元と戦ったが、陣没。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

山名持豊
やまなもちとよ
(1404―1473)
室町中期の武将。守護大名。右衛門佐(うえもんのすけ)、弾正少弼(だんじょうのしょうひつ)。法号の宗全(そうぜん)の名で知られる。時煕(ときひろ)の子。1433年(永享5)父の隠退により家督を継ぎ、但馬(たじま)、備後(びんご)、安芸(あき)、伊賀の守護を兼ね、一時侍所別当(さむらいどころべっとう)となる。41年(嘉吉1)将軍義教(よしのり)を殺した赤松満祐(みつすけ)を播磨城(木)山(はりまきのやま)城(兵庫県たつの市)に攻め滅ぼし、功により播磨守護を兼ね、一族教之(のりゆき)は備前(びぜん)、教清(のりきよ)は美作(みまさか)の各守護となる。これにより山名氏は赤松氏の分国を全部あわせて、明徳(めいとく)の乱以前の勢力を回復した。50年(宝徳2)家督を子教豊(のりとよ)に譲り、剃髪(ていはつ)して宗峰(そうほう)、ついで宗全と号した。女(むすめ)を細川勝元(ほそかわかつもと)の妻とし、勝元と組んで畠山(はたけやま)氏の内紛に介入したが、勝元が赤松氏再興を助けたのを怒って対立する。勝元が伊勢貞親(いせさだちか)と組んで畠山政長(まさなが)を支持すると宗全は同義就(よしなり)を助け、斯波(しば)家の内紛にも勝元らが斯波義敏(よしとし)を支持したのに抗して同義廉(よしかど)を助けた。さらに将軍家の継嗣(けいし)問題についても、日野富子(とみこ)の産んだ足利義尚(よしひさ)を助けて、将軍義政の弟義視(よしみ)を支持する勝元らに対抗した。その結果ついに67年(応仁1)山名・細川両将とも与党を京都に集めて戦端を開き、応仁(おうにん)の乱となった。宗全を主将とする西軍には大内政弘(おおうちまさひろ)さらに足利義視も加わったが、宗全の子の山城(やましろ)守護是豊(これとよ)は東軍に参加しており、山名一族も内紛を露呈した。この大乱のさなかに宗全は文明(ぶんめい)5年3月19日西陣の邸内で病没した。平生犬追物(いぬおうもの)を得意とし、勇猛な武将で、赤入道と綽名(あだな)された。[小川 信]

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367日誕生日大事典

山名持豊 (やまなもちとよ)
生年月日:1404年5月29日
室町時代の武将
1473年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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旺文社日本史事典 三訂版

山名持豊
やまなもちとよ
1404〜73
室町中期の武将
法名宗全。但馬・備後・因幡 (いなば) ・伯耆 (ほうき) の守護。1441年嘉吉の乱で赤松氏を討ち,その功で播磨・石見 (いわみ) を合わせ,一族の教清は美作 (みまさか) ,教之は備前を得て,明徳の乱(1391)で失った勢威を再興した。赤松氏再興のことで細川勝元と対立し,'67年応仁の乱には足利義尚 (よしひさ) を擁立,西軍の総帥となったが,'73年陣中に没した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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精選版 日本国語大辞典

やまな‐もちとよ【山名持豊】

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