●山名氏【やまなうじ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
山名氏
やまなうじ
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世界大百科事典 第2版
やまなうじ【山名氏】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
山名氏
やまなうじ
室町時代の守護。四職(ししき)家の一つ。清和源氏(せいわげんじ)新田(にった)氏の一族。家祖は義重(よししげ)の男義範(よしのり)で、上野国(こうずけのくに)多胡(たご)郡山名郷(群馬県高崎市山名町)に住し、山名三郎と称した。治承(じしょう)・寿永(じゅえい)の乱で活躍した義範は伊豆守(いずのかみ)に任じ、以後山名氏は幕府引付衆(ひきつけしゅう)などにも名を連ね、新田一族として重きをなした。義範7代後の時氏(ときうじ)は、南北朝内乱で足利尊氏(あしかがたかうじ)方に属し、山陰・山陽地方で活躍する。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)では足利直義(ただよし)方に属し、直義没後にいったんは南朝方となったが、1363年(正平18・貞治2)足利義詮(よしあきら)に帰順して、伯耆(ほうき)・丹後(たんご)など5か国の守護職に補されて大守護となり、子息らは侍所所司(さむらいどころしょし)などの要職についた。さらに山陰出雲(いずも)・畿内(きない)の守護職を得て、一族で11か国守護となり六分一殿(ろくぶんのいちどの)と称された。将軍義満(よしみつ)の大守護抑圧政策と一族争いが絡んで起こった1391年(元中8・明徳2)の明徳(めいとく)の乱の結果、但馬(たじま)・伯耆・因幡(いなば)以外の守護職は没収されたが、嘉吉(かきつ)の乱(1441)などで勢力を回復し、細川氏と並ぶ強勢となった。しかし応仁(おうにん)の乱(1467~77)後は下剋上(げこくじょう)により急速に衰えた。近世では交代寄合の格として6700石を与えられた。なお南北朝末期ごろ鎌倉府の有力者としてみえる山名氏が、時氏系統かどうか不詳である。明治になって男爵を与えられた。
[田沼 睦]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版
山名氏
やまなし
清和源氏の新田氏の一族。南北朝時代,足利氏に属し,時氏は因幡 (いなば) ・伯耆 (ほうき) (ともに鳥取県)の守護となり,一族で11カ国の守護職を有し「六分一衆」といわれた。足利義満の挑発によって一族が争った1391年の明徳の乱で氏清らが討たれて,因幡・伯耆・但馬の3国を残すのみとなったが,持豊(宗全)のとき,嘉吉の乱(1441)の功によって勢力を回復。応仁の乱(1467〜77)では細川勝元と対立し西軍の主将として活躍したが,乱後急速に没落した。
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