●山本安英【やまもとやすえ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
山本安英
やまもとやすえ
[没]1993.10.20. 東京
女優。本名千代。神奈川高等女学校卒業。 1921年2世市川左団次主宰の現代劇女優養成所に入所,24年築地小劇場の第1回研究生となった。 29年築地小劇場の分裂後は土方与志らと新築地劇団を創設,『何が彼女をさうさせたか』『女人哀詞』『土』など,リアルな演技で絶賛を博した。 40年同劇団が強制解散させられたのちは,放送劇,朗読の分野で活躍。第2次世界大戦後,木下順二,岡倉士朗,山田肇らの理論指導のもとに若い俳優志望者の養成を心がけ,47年4月ぶどうの会を結成,特に『夕鶴』の「つう」役では文部大臣賞をはじめ二十余の賞を得た。 64年9月同会解散後は,俳優養成のための勉強会のほか,プロデューサー・システムで山本安英の会を開催。ことに木下順二作『子午線の祀 (まつ) り』は 79年の初演以来再演を重ね,高い舞台成果を上げた。独自の境地を開いた朗読にも定評があった。
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デジタル大辞泉
やまもと‐やすえ【山本安英】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
山本安英 やまもと-やすえ
明治35年10月29日生まれ。大正10年初舞台。13年築地小劇場研究生となり「三人姉妹」などに出演,新劇の聖女とよばれた。昭和22年ぶどうの会を結成。24年「夕鶴」初演,以後つう役は生涯の当たり役となる。40年から山本安英の会を主宰,木下順二の戯曲や民話劇を演じつづけた。平成5年10月20日死去。90歳。東京出身。神奈川高女卒。本名は千代。著作に「鶴によせる日々」など。
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世界大百科事典 第2版
やまもとやすえ【山本安英】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
山本安英
やまもとやすえ
(1906―1993)
新劇女優。本名千代。東京生まれ。1921年(大正10)2世市川左団次の女優養成所に入り、小山内薫(おさないかおる)作『第一の世界』で初舞台。24年小山内らの築地(つきじ)小劇場に参加、数多くの舞台に重要な役を演じた。29年(昭和4)土方与志(ひじかたよし)を擁し新築地劇団を創設、『女人哀詞』『土』などが代表的舞台。第二次世界大戦後は岡倉士朗(しろう)らと「ぶどうの会」を指導し、木下順二作『夕鶴(ゆうづる)』のつう役で絶賛を博し51年(昭和26)に文部大臣賞を受けた。65年「山本安英の会」を主宰、また木下らと「ことばの勉強会」の活動を行う。『夕鶴』の上演は回を重ねて84年7月には1000回に達し、その後も引き続き上演されている。半世紀に及ぶ演劇活動により74年に朝日文化賞を受賞。随筆集『素顔』(1936)などがある。
[祖父江昭二]
『岡倉士朗・木下順二編『山本安英舞台写真集』(1960・未来社)』▽『山本安英著『舞台と旅と人と』(1979・未来社)』
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精選版 日本国語大辞典
やまもと‐やすえ【山本安英】
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