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山本芳翠【やまもとほうすい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

山本芳翠
やまもとほうすい
[生]嘉永3(1850).7.5. 美濃,恵那
[没]1906.11.15. 東京
洋画家。本名,為之助。初め京都で南画を学び,のち横浜へ移り五姓田芳柳工部美術学校で A.フォンタネージに師事。また C.ワーグマン五姓田義松の感化をも受けた。 1878年渡仏。 L.ジェロームに師事して 88年帰国,フランス風の画塾生巧館を創立するとともに,明治美術会の創設や白馬会の結成をも助けた。早くから歴史風俗画を得意とし,また演劇,歌劇の背景制作の先駆者。 94年日清戦争では従軍画家として活躍。主要作品『西洋婦人像』 (1882,東京芸術大学) ,『裸婦』 (82頃,同) 。

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デジタル大辞泉

やまもと‐ほうすい〔‐ハウスイ〕【山本芳翠】
[1850~1906]洋画家美濃の人。本名、為之助。五姓田(ごせだ)芳柳に学び、のち洋画に転じて渡仏。帰国して生巧館画塾を開く。明治美術会白馬会の創立に参加。門下藤島武二らがいる。代表作に「臥裸婦」「浦島」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

山本芳翠 やまもと-ほうすい
1850-1906 明治時代の洋画家。
嘉永(かえい)3年7月5日生まれ。五姓田芳柳(ごせだ-ほうりゅう)にまなぶ。のちフランスでレオン=ジェロームに師事。明治21年生巧館画学校をひらいて後進を指導。また明治美術会,白馬会の創立に参加した。明治39年11月15日死去。57歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。工部美術学校中退。本名は為之助。別号に楳谷,生巧。代表作に「臥裸婦」「浦島」。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

やまもとほうすい【山本芳翠】
1850‐1906(嘉永3‐明治39)
洋画家。岐阜県明智町に生まれる。はじめ京都に出て久保田雪江に南画を学ぶ。その後,横浜で五姓田芳柳につき,緻密な写実的描法による肖像画を描く。1876年工部美術学校の開設とともに入学し,フォンタネージの指導を受け,78年パリ万国博事務局雇としてフランスに渡る。古典派のレオン・ジェロームに師事,フランス絵画の伝統的な写実主義の様式を学び,約10年に及ぶ留学中にユゴー,ゴーティエなどの文学者たちとも親交を結んでいる。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

やまもとほうすい【山本芳翠】
1850~1906) 洋画家。岐阜県生まれ。五姓田ごせだ芳柳に学ぶ。渡仏後生巧館画塾開設。明治美術会・白馬会に参加。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

山本芳翠
やまもとほうすい
(1850―1906)
洋画家。嘉永(かえい)3年美濃(みの)国(岐阜県)に生まれる。幼名為蔵、為之助。初め京都に出て南画を学び、1872年(明治5)横浜で五姓田芳柳(ごせだほうりゅう)に入門、洋画に転じる。76年工部美術学校に入学してフォンタネージの指導を受け、翌年の第1回内国勧業博覧会に出品、花紋賞を受け、宮内省買上げとなる。78年パリ万国博事務局雇として渡仏し、国立美術学校に入ってレオン・ジェロームに師事し、87年帰国する。翌年合田清(ごうだきよし)とともに生巧館(せいこうかん)画学校を開いて後進の指導にあたり、89年同志と明治美術会を創立。のち黒田清輝(せいき)の白馬(はくば)会創立に参加する。日清(にっしん)戦争、日露戦争に従軍し、記録的戦争画を描いた。画風はフランス流に洗練されたアカデミズムを示す。生巧館門下に藤島武二(たけじ)、白滝幾之助(しらたきいくのすけ)、湯浅一郎らがいた。代表作に『裸婦』『西洋婦人像』『十二支』がある。[小倉忠夫]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

やまもと‐ほうすい【山本芳翠】
洋画家。岐阜県の人。本名為之助。南画から転じ、工部美術学校でフォンタネージに師事したのち、渡仏。帰朝後、生巧館画学校を創立。明治美術会設立にも関与。のち白馬会に参加。画風は洗練されたアカデミズムを示している。代表作「西洋婦人像」。嘉永三~明治三九年(一八五〇‐一九〇六

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