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山東出兵【さんとうしゅっぺい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

山東出兵
さんとうしゅっぺい
中国国民党による中国革命に対し,田中義一内閣が3回にわたって行なった干渉出兵。居留民保護を名目としたが,第1次出兵は 1927年5月に徐州へ向けて北上する国民党軍から張作霖政権を守るため山東州に 2000人の陸軍部隊を出兵,南京政府抗議や,国際的な反対が強まるとともに,国民党軍が北上を中止したので8月に撤兵。第2次出兵では北伐が再開された 28年4月に 5000人の兵力で出兵し,済南を占領した。このとき5月3日,済南事件が起ったので,これを理由に同8日約2個師団を増派し,華北制圧をはかったのが第3次出兵である。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

さんとう‐しゅっぺい【山東出兵】
昭和2~3年(1927~1928)三次にわたって、田中義一内閣が在留邦人保護の名目で中国山東省に出兵した事件国民革命軍北伐阻止を目的とし、第二次出兵のさいには済南事件を引き起こして中国の反日感情を増大させた。

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世界大百科事典 第2版

さんとうしゅっぺい【山東出兵】
田中義一内閣が1927,28年の2次にわたって実施した中国山東省への出兵。(1)第1次 1927年5月,武漢・南京両国民政府軍が津浦(天津~浦口),京漢(北京~漢口)両鉄道に沿って北伐を開始すると,田中内閣は済南居留日本人(約2000人)保護のため,まず青島(チンタオ)へ6月1日日本軍を上陸させた。戦火が山東鉄道沿線に接近すると日本軍は7月青島から済南に進駐し,青島に新兵力を派兵した。日本軍の出兵に対し両国民政府は内戦への干渉と非難し,中国各地で日貨ボイコット勃発,拡大した。

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大辞林 第三版

さんとうしゅっぺい【山東出兵】
中国国民革命軍の北上を阻止するため、田中義一内閣が1927年(昭和2)5月と28年4月・5月の三次にわたって山東省に出兵した事件。第二次出兵では済南事件を引き起こした。この内政干渉に対し、中国の排日運動が激化した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

山東出兵
さんとうしゅっぺい
中国国民革命に対する日本の武力干渉。第一次から第三次にわたる。[岡部牧夫]

第一次

1927年(昭和2)、国民革命軍が北伐のため山東省に迫ると、日本の支持する張作霖(ちょうさくりん/チャンツオリン)軍閥の勢力弱化を恐れた田中義一(ぎいち)内閣は、在留邦人の保護を理由に、5月関東軍から2000の兵力を送り、7月さらに2200を増派して青島(チンタオ)や済南(さいなん/チーナン)に進出させた。またこの間、政府、軍部、在外公館員などによる東方会議で、華北、東北の権益擁護のため対中強硬方針をとることを確認した。国民政府側は出兵に抗議したが、共産党への攻勢に転じて北伐を緩め、また日本の出兵にも内外の批判が浴びせられ、9月撤兵した。[岡部牧夫]

第二次

1928年北伐が再開されると、田中内閣は4月ふたたび出兵を決定し、支那(しな)駐屯軍、第六師団など5000の兵力で山東省の要地を占領した。その結果5月には済南で日中両軍の武力衝突(済南事件)が起こった。[岡部牧夫]

第三次

済南事件を契機に、日本側は同月さらに第三師団を動員し、山東省全域から華北各地に兵力を展開するとともに、国民革命の東北への波及を実力で阻止するとの声明を出した。1929年3月、済南事件解決文書の調印をみ、ようやく撤兵した。田中内閣のこうした強硬政策は、国民革命の進展をある程度妨げたが、張作霖の立場を強化するまでには至らず、28年6月、関東軍参謀大佐河本大作(こうもとだいさく)らが政府の思惑を超えて張を爆殺したため、かえって息子の張学良(ちょうがくりょう/チャンシュエリヤン)を抗日に向かわせ、同年末の東北の中央化、国民革命のいちおうの達成という結果を招いた。日本のたび重なる出兵は中国の抗日民族運動を強め、日本国内でも対華非干渉運動を巻き起こした。[岡部牧夫]
『臼井勝美著『日中外交史』(塙新書)』

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精選版 日本国語大辞典

さんとう‐しゅっぺい【山東出兵】
田中義一内閣が、中国全土の統一をめざす国民革命軍の北上を阻止するため、在留邦人の保護を名目に山東省へ出兵した事件。昭和二年(一九二七)五月、同三年四月・五月の三回行なわれ、第二次出兵では済南事件を引き起こした。その結果、中国民衆の排日運動が激化した。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

山東出兵
さんとうしゅっぺい
1920年代後半に行われた日本の中国国民革命に対する干渉
中国国民党の北伐が華北に及ぶのを恐れた日本の田中義一内閣は,居留民の保護を名目に1927年5〜8月青島 (チンタオ) に(第1次),28年4月省都済南に派兵(第2次)した。そのため,この地に進出した国民党軍と武力衝突が発生し,居留民11名が殺害される(済南事件)と,5月に兵力増強(第3次)を断行膠済鉄道を占領して中国軍を済南から撃退した。北伐は済南を避けて続行され,日本軍は1929年5月に撤兵したが,この事件を契機に排日気運が中国全土に広がった。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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旺文社日本史事典 三訂版

山東出兵
さんとうしゅっぺい
1927〜28年にかけて田中義一内閣が中国山東半島へ出兵した事件
蔣介石の率いる中国国民党革命軍の北伐を阻止し,満州・華北への勢力拡大をねらって3度にわたり出兵。1927年,張作霖政権を援助し,これを利用するため,居留民保護を名目に出兵,北伐の中止で撤兵(第1次)。翌'28年北伐再開に対抗し再度出兵して済南事件をおこし(第2次),事件後も増兵,中国の抗日運動を激化させた。内外からの強い反対により'29年撤兵(第3次)。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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