●山科本願寺【ヤマシナホンガンジ】
デジタル大辞泉
やましな‐ほんがんじ〔‐ホングワンジ〕【山科本願寺】
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世界大百科事典 第2版
やましなほんがんじ【山科本願寺】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
山科本願寺
やましなほんがんじ
京都市山科区東野狐藪(きつねやぶ)町にある浄土真宗本願寺派の別院。山科別院舞楽(ぶがく)寺と称し、俗に山科西御坊ともよばれる。本願寺はもと大谷(おおたに)の宗祖親鸞(しんらん)の廟所(びょうしょ)にあったが、長い間さびれていたため、1478年(文明10)浄土真宗中興の祖蓮如(れんにょ)が山科の地に祖堂を創建、宗祖の真影を迎えて同宗の本山たる本願寺とした。しかし1532年(天文1)江(ごう)州(滋賀県)の六角定頼(さだより)の兵および京都の法華(ほっけ)宗徒の来攻にあって堂舎が焼き払われ、本願寺は大坂の石山に移された。その後久しく廃墟(はいきょ)と化していたのを、いまの地に1732年(享保17)西本願寺15世住如(じゅうにょ)が山科講の請いを受けて北山別院の旧堂を移して再興したのが、現在の山科別院舞楽寺の始めである。近くに蓮如(8世)、実如(じつにょ)(9世)、証如(しょうにょ)(10世)の墓がある。また山科区西野今屋敷町には山科東御坊とよばれる真宗大谷派の山科別院長福(ちょうふく)寺がある。これも起源を同じくするが、1732年東本願寺17世真如(しんにょ)が再興したものである。
[森 章司]
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精選版 日本国語大辞典
やましな‐ほんがんじ ‥ホングヮンジ【山科本願寺】
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旺文社日本史事典 三訂版
山科本願寺
やましなほんがんじ
1479年蓮如 (れんによ) が建立し,1532年焼失するまで本願寺派の本寺であった。周囲に堀をめぐらし,城郭的設備をもつ寺内町があった。蓮如はここで没し,実如ののち,証如に至って六角定頼と法華宗徒らによって焼き払われ,石山本願寺に移った。
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