●岡山平野【おかやまへいや】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
岡山平野
おかやまへいや
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デジタル大辞泉
おかやま‐へいや〔をかやま‐〕【岡山平野】
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世界大百科事典 第2版
おかやまへいや【岡山平野】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
岡山平野
おかやまへいや
岡山県南部、瀬戸内海に面する平野。吉井川、旭(あさひ)川、高梁(たかはし)川の三大河川や砂川、笹ヶ瀬(ささがせ)川、足守(あしもり)川などの堆積(たいせき)作用により形成された沖積平野である。古い時代に吉備(きび)の穴海として広く湾入していた瀬戸内海の一部を埋めたため、かつての島は平野のなかに散在する丘陵になっており、児島(こじま)も16世紀から17世紀初頭には陸繋島(りくけいとう)となって児島半島となった。開発の歴史は古く、岡山市北区津島や倉敷市庄(しょう)などでは平野の地下から弥生(やよい)式の遺物、遺跡が発掘された。条里遺構の南限は不明瞭(ふめいりょう)であるが、岡山市以東ではJR山陽本線沿線から吉井川東岸の千町(せんちょう)平野にかけて、以西では旧山陽道や国道180号沿線に顕著に認められる。平野には両宮山(りょうぐうざん)古墳、造山(つくりやま)古墳、作山(つくりやま)古墳、備前(びぜん)国府跡、備中(びっちゅう)国府跡、吉備津神社、吉備津彦神社、その他の古代の史跡、遺跡が多い。岡山市付近では中世には大安寺荘、鹿田(しかた)荘などがあった。干拓では1584年(天正12)宇喜多秀家(うきたひでいえ)による倉敷、早島付近の開墾を初めとして、岡山藩による17世紀の沖新田その他、19世紀の興除(こうじょ)新田、明治以後は藤田組、第二次世界大戦後は農林省による干拓が行われた。一方、倉敷南部や水島でも多くの新田が開発され、第二次世界大戦後は水島で臨海工業用地が大規模に造成された。岡山県の経済活動の中心で、豊かな穀倉地帯であり、また岡山市、倉敷市が商業の中心をなし、臨海部は工業が発達している。
[由比浜省吾]
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精選版 日本国語大辞典
おかやま‐へいや をかやま‥【岡山平野】
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