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岩下方平【いわした まさひら】

美術人名辞典

岩下方平
薩摩藩士・勤王家・子爵。薩摩鹿児島生、東京住。通称左次兵衛・佐次右衛門・左二、名は方美、号は南谷。薩摩改革派の中堅として活躍。文久2年の生麦事件では家老代として英公使と交渉。参与・大阪府判事等を経て、元老院議官・貴院子爵選出議員となる。明治33年(1900)歿、74才。

出典:(株)思文閣

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

岩下方平 いわした-まさひら
1827-1900 幕末-明治時代の武士,官僚。
文政10年3月15日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。薩英戦争の講和談判の正使をつとめる。慶応元年家老。2年パリ万国博に藩の使節として渡仏。王政復古後,藩を代表して参与となる。のち大阪府大参事などをへて,明治11年元老院議官,23年貴族院議員。明治33年8月15日死去。74歳。通称は左次右衛門。名は「みちひら」ともよみ,別に方美とも。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

岩下方平
いわしたほうへい
[生]文政10(1827).3. 鹿児島
[没]1900.8.15. 東京
明治初期の外政家。薩摩藩士で通称は佐次右衛門。藩の精忠組に属した。生麦事件のとき,藩家老の代理としてイギリスとの交渉に加わり,慶応2 (1866) 年には,同藩の海外密航留学生として渡仏。帰国後,王政復古に際して参与となり,明治1 (68) 年,新政府外国事務掛,大阪府判事を歴任して,攘夷事件など困難な外交交渉に尽力翌年,刑法官判事に転じ,さらに京都留守官の次官となる。同3年,京都府権知事,のち大阪府大参事を歴任。 1878年元老院議官。 87年子爵。 90年貴族院議員。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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