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岩崎弥太郎【いわさきやたろう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

岩崎弥太郎
いわさきやたろう
[生]天保5(1834).12.11. 土佐
[没]1885.2.7. 東京
明治初期の実業家三菱財閥の創設者。父は土佐藩の郷士。弥太郎は後藤象二郎推挙を得て営の商社,開成館に勤務し,維新の戦役では大坂の土佐商会にあって藩の兵站を引受けた。廃藩置県に際し,同商会を継承して三菱商会を興し,徹底した商人的合理主義と排外的闘志をもって,政府ことに大隈重信の保護のもとに海運界で独占的地位を築き,さらに鉱山造船,海上保険にも進出した。もっとも彼の独占は言論界の批判と反三菱,反改進運動を激化させ,三井系の海運会社である共同運輸会社の設立と挑戦という事態を招いた。彼は屈せずに競争し,政府による調停の成立を聞きつつ死亡した。

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デジタル大辞泉

いわさき‐やたろう〔いはさきやタラウ〕【岩崎弥太郎】
[1835~1885]実業家。土佐の人。弥之助の兄。三菱財閥の創始者。藩船などの払い下げを受けて三菱商会を創立。明治政府の保護による独占的海運事業として発展した。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

岩崎弥太郎 いわさき-やたろう
1835*-1885 明治時代の実業家。
天保5年12月11日生まれ。土佐(高知県)の地下(じげ)浪人岩崎弥次郎の長男。安積艮斎(あさか-ごんさい),吉田東洋に師事。長崎,大坂の藩営の商社土佐商会で手腕を発揮。明治6年三菱商会をつくり社長。台湾出兵,西南戦争などでの軍需輸送により海運界を支配。さらに鉱山,荷為替,造船などに事業を拡大し,三菱財閥の基礎をきずいた。明治18年2月7日死去。52歳。名は寛。号は東山。
【格言など】創業は大胆に,守成には小心なれ(遺訓)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

いわさきやたろう【岩崎弥太郎】
1834‐85(天保5‐明治18)
明治前期の代表的実業家で,三菱財閥の創立者。土佐国安芸郡の地下(じげ)浪人の長男として生まれた。英才を見込まれて1853年(嘉永6)に江戸の安積艮斎に学び,帰国後,土佐藩の吉田東洋や後藤象二郎の知遇を得たが,反骨と直情のため逆境に落ち,新田開発や官林伐採を行う。67年(慶応3)に土佐藩の開成館長崎出張所の下役となり,坂本竜馬やT.B.グラバーらの外国商人と交渉,明治維新後の69年(明治2)には大阪にある藩の大坂商会の幹部

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

いわさきやたろう【岩崎弥太郎】
1834~1885 実業家。土佐の人。1870年(明治3)に藩営を離れた大坂商会(九十九つくも商会と改称)を翌年引き継ぎ、三川商会として独立。三菱商会・三菱汽船会社と拡張発展させて海運業界に独占的地位を占め、政商として三菱財閥の基礎を築いた。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

岩崎弥太郎
いわさきやたろう
(1834―1885)
三菱(みつびし)財閥の創設者。号は東山。天保(てんぽう)5年12月11日、土佐国安芸(あき)郡井ノ口村(高知県安芸市)の地下(じげ)浪人で上農の弥次郎の長男として生まれる。1848年(嘉永1)から高知の紅友舎で、さらに1855年(安政2)から江戸の安積艮斎(あさかごんさい)の塾に学んだ。1859年から藩職につき、1866年(慶応2)には藩の開成館貨殖局に勤務して翌年に二度目の長崎出張を行い、各国の商館との取引で企業家としての腕を磨いた。維新後の1870年(明治3)10月から開成館大阪商会は藩から分離し、九十九(つくも)商会という海運業を行う私商社になり、弥太郎はその指揮者となった。同商会は三川(みつかわ)商会、ついで1873年に三菱商会と改名し、岩崎弥太郎個人の企業になった。彼は強いナショナリズムを唱えて太平洋郵船(アメリカ)、P&O汽船(イギリス)を打ち破り、また大久保利通(としみち)や大隈重信(おおくましげのぶ)など政界と結んで、台湾出兵(1874)や、西南戦争(1877)を頂点とする内乱を鎮圧するための新政府の軍需輸送を独占して巨利を占め、全国汽船総トン数の73%を手中に収めた。これと並行して燃料確保のため高島炭坑を買収(1881)、三菱為替(かわせ)店による荷為替金融と倉庫業の開始(1876)、東京海上保険(現、東京海上日動火災保険)への出資(1878)、官営長崎造船所の貸下げ(1884)など、海運業からの多角化によって三菱財閥の基礎を築き、また吉岡銅山、明治生命保険(現、明治安田生命保険)、千川水道も経営した。弥太郎はつねに強い指導権を把握して「社長専制主義」を確立し、薩長(さっちょう)藩閥政治が確立した「明治十四年の政変」(1881)以後は「政治不関与」を唱えた。郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の競争が頂点にあった明治18年2月7日に胃癌(がん)で死亡した。[三島康雄]
『岩崎弥太郎・弥之助伝記編纂会編『岩崎弥太郎伝』上下(1967。複製版1980・東京大学出版会) ▽三島康雄著『三菱財閥史 明治編』(教育社歴史新書)』

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旺文社日本史事典 三訂版

岩崎弥太郎
いわさきやたろう
1834〜85
明治時代の実業家。三菱財閥の創設者
土佐藩郷士出身。後藤象二郎らの知遇をうけ,土佐藩の通商に従事。1873年三菱商会を創設し海運業に進出。佐賀の乱・台湾出兵・西南戦争で軍事輸送にあたり巨利を博し,三菱財閥の基礎を確立した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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