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島津家久【しまづ いえひさ】

美術人名辞典

島津家久
江戸前期の大名薩摩藩義弘三男家督を継ぎ、左近衛中将陸奥守となる。鹿児島城を修築し、城下町を整備し、領内藩士を配置して平時農耕に従事させ、戦時に備える外城の制を確立した。寛永15年(1638)歿、63才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

しまづ‐いえひさ〔‐いへひさ〕【島津家久】
[1576~1638]安土桃山・江戸初期の武将薩摩藩主。文禄の役慶長の役従軍慶長14年(1609)琉球を平定して薩摩に帰属させた。

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世界大百科事典 第2版

しまづいえひさ【島津家久】
1576‐1638(天正4‐寛永15)
安土桃山時代・江戸初期の大名。戦国大名島津義弘の三男。初名忠恒。徳川家康の1字を受け家久。従三位権中納言。法号慈眼。文禄・慶長の役で活躍,関ヶ原の戦後家康との交渉にあたり,西軍方の島津氏の地位保全に成功,外様大名として73万石を安堵された。慶長内検の実施,琉球征覇,藩主の妻子の江戸在府,有勢家臣の統制など近世薩摩藩の基盤作りに意を用いた。【三木

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

島津家久
しまづいえひさ
[生]天正6(1578).鹿児島
[没]寛永15(1638).2.23. 鹿児島
安土桃山~江戸時代初期の武将。薩摩藩主。義弘の3男。幼名は米菊丸,又八郎,初名は忠恒。文禄3 (1594) 年家督を継ぐ。泗川の戦い (98) に功があった。慶長4 (99) ~5年老臣伊集院忠棟 (幸侃) 父子を誅し領内を鎮定,同7年鹿児島城 (鶴丸城) を構築,城下に市街を発展させ,外城 (とじょう) 制度など藩内に多くの施策をなした。この間,アンナン (安南) ,ルソン (呂宋) ,明とも交易し,同 14年幕府の許可を得て琉球に出兵,これを薩摩藩の付庸 (従属国) とし,奄美群島を直属地とした。同 11年将軍徳川家康から諱を与えられ,家久と改名

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日本大百科全書(ニッポニカ)

島津家久
しまづいえひさ
(1576―1638)

安土(あづち)桃山時代~江戸初期の武将。天正(てんしょう)4年11月7日生まれ。父は島津義弘(よしひろ)。幼名を米菊丸(よねぎくまる)、初名を忠恒(ただつね)、通称を又八郎(またはちろう)という。1606年(慶長11)前将軍家康より「家」の字を得て家久となる。文禄(ぶんろく)の役で兄久保(ひさやす)が没し家督継承者と決まり、渡海、軍功があった。1599年義久より家督を相続し、伏見(ふしみ)で伊集院忠棟(いじゅういんただむね)を討ち、伊集院忠真(ただざね)らの庄内(しょうない)の乱を鎮圧し、1600年関ヶ原の戦いで西軍方となった父義弘の弁護に努め、1602年家康から領国を安堵(あんど)され、鹿児島に鹿児島城を築き本城とし、島津藩(鹿児島藩)の創業に成功した。1609年琉球(りゅうきゅう)を従え、1624年(寛永1)には自ら藩主妻子を江戸居住とした。寛永(かんえい)15年2月23日没。墓は鹿児島市の福昌寺(ふくしょうじ)墓地にある。

[三木 靖]

『山本正誼編『島津国史』(1972・鹿児島県地方史学会)』

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367日誕生日大事典

島津家久 (しまづいえひさ)
生年月日:1576年11月7日
安土桃山時代;江戸時代前期の大名
1638年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

しまづ‐いえひさ【島津家久】
安土桃山・江戸初期の武将。薩摩藩主。義弘の三男。初名、忠恒(ただつね)。文祿・慶長の役に従軍し、功を立てる。のち琉球を攻めて支配下におく。天正四~寛永一五年(一五七六‐一六三八

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